日時:2月4日(水曜日) 午後6時30分~8時30分
場所:東洋大学白山キャンパス5号館5103教室
文京区白山5-28-20
司会:山田肇(東洋大学経済学部教授、ICPF理事長)
講師:上松恵理子(武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部准教授、日本デジタル教科書学会顧問)
冒頭、上松氏は資料を用いて次の通り講演した。
- オーストラリアのクイーンズランド州では、例えば、教育学者ブルームの分類に沿って「シンフォニー・モデル」を使い、ICT教育を行っている。ICTを授業で使わなければならないと明記されているシラバスで、指導内容も詳細に記載されている。
- 「The Learning Place」というシステムがあり、そこには非常に多くの教材が掲載されている。生徒が予めその教材にアクセスし、事前に理解した上で、翌日の授業でその内容について学ぶといった反転授業の形も取り入れられている。反転授業は、昨今、日本でも話題になってきているが、既にここでは10年以上前から実施されている。
- また、「One Portal」というシステムは、成績評価やグラフ化処理が容易で、教員の手間も省けるものである。
- 学習者の全記録が蓄積されている「One School」は、大学側が閲覧可能であるため、日本のように、受験時に高校の教員が調査書を作成するといった大変な作業を教員がするということがない。
- さらに、小学校1年生からすべての児童にメールアドレス、アカウントが付与されている。そして自分のアカウントで各システムにログインするしくみになっている。
- デジタル教材が「多すぎて困る」のが教員の「悩み」である。教材は国が財政を負担して作成している。クイーンズランド州では、優秀な教員50名をeラーニングセンターのあるC2Cに引き抜き、彼らにそれぞれ約3名ずつ、アニメータやプログラミングの専門人材を付けて精度の高いデジタル教材を開発作成している。この例からみても、教材開発にかける人的支援がとても大きい。紙の教科書を使用していたときは、国定ではない、教員が適当に選んだ教材を使用しても良かった。また、学校に教科書を置き、それを各学年で使いまわしも可だった。しかし、デジタル教材になると品質の良い教材使った児童と良くない教材を使った児童の差異が進んでしまうという教育に対する危機意識から、すべて国が作ることになったという。
- 少なくとも年間4-5百万豪ドルの予算かけられ、それは2012年から毎年、クィーンズランド州が費用負担している。21世紀スキルを実現する教育を実施するために、デジタル教材開発はあくまでその一環である。この予算は、人件費プラス諸費用が、オーストラリアのナショナルカリキュラム(新しい全国学習指導要領)のためにかけられている。
- BYOD(Bring Your Own Device)の地域では、一人で3台持ってきている児童生徒もいる。学校用と家庭用のパソコンを2台持ち、使い分ける生徒もいる。訪問した学校では、13年以上前から、学校の廊下にインターネットに常時接続できるパソコンを設置されていた。その後、コンピュータ室を設置するといった過程を経て、一人一台を持たせることは問題なく大丈夫だといった判断から、BYODになっていった。日本でも、BYODになるには、そういった準備期間を要すると考えられる。
- ICT支援員は、専門の会社から高度な資格を有した優秀な人員が派遣される。支援員同士の横の繋がりもある。また、すべてのタスク処理をネット上で報告しなければならないため、教員だけでなく国や自治体も支援員の活動を把握している。教員は支援員に声をかけなくても、トラブルと解決法を見ることができ対応できるため効率がよい。学校によっては、10年来の支援員もいる。日本のように、非常勤で雇い、支援員の任期が不安定ではなく、教員へのアドバイス等を長年実施しているため、長期間の教員とのやりとりによる信頼関係ができている。教員にもパソコンが得意、不得意な先生がいる。そのため、教員研修はスキル別、教科別、興味別に行っている。
- 小学生から企業家教育を行うことで、将来どのように生活していけばよいかを考えさせる機会を与えている。株やクレジットカードについて、また政党の特色や欠点など、日本では小学生に教えることはタブーだと思われがちな内容も、今の時代を理解する教育、生きるための教育として積極的に取り入れている。
- エストニアのタリンでは、プログラミング教育は小学校1年生から行われている。導入年を1年生にした場合と2年生にした場合とでは将来的にまったく異なるスキルがつくといわれていて、導入するなら早い方がよいという。特に、早期から行うことで、あらゆる、考え方が論理的になるからであるという。また、なぜ、コンピュータが動くのか仕組みを理解できるので、プログラミング教育を早期から行った国と行わない国とでは、ロボットなどの最新コンピュータも出てくる中で、国の行く末が変わっていくかもしれないだろう。
- スウェーデンやデンマークは、紙の教科書は無料である。デジタル教材に関しては、フリーと有料を比較して、大差がなければフリーのものを使う。しかし有料で良いものがあれば、教員が管理職に交渉して購入することもある。児童生徒は教科書ももちろんのことデジタル教材やアプリ、給食や教育に関わるものはすべて無料である。
- 韓国でも、金銭的な支援を要する家庭には、端末やネットワーク代の補助を国が行っている。韓国では、地方自治体に来た予算が、教育予算としてではなく橋や道路に変わってしまうことがないように、自治体のよっては3分の1もの予算を教育費用として死守している。諸外国から日本が参考にすべき点は、こういった教育に対する国の金銭的支援制度である。これらを先進国と比較すると、日本は教育費の割合が少ないため、ICT機器の導入についてもかなりの遅れをとっている。また、ネット上で自治体、校長、教員の役割や横のつながりを強固にすべきである。
講演の後、以下の事項について質疑討論が行われた。
デジタル化教育と投資回収
Q(質問):クイーンズランド州では、50人の教員に対して各3名のスタッフを付けているが、費用負担はどうなっているのか?
A(回答):教材開発費用は州が負担している。国が豊かだからではなく、「投資する」という考え方で教育にお金をかける。将来、国を支えていく人たちに、教育を受けさせたいという気持ちが強い。
Q:人材育成は投資とのことだが、投資回収プランはあるのか?
A.:デジタル教材を作成するC2Cのスタッフやメディア、ゲーム関係に就職する。投資回収といった視点でICTが苦手な仲間を指導する「メンター」と呼ばれる生徒にインタビューをしたところ、米国のGoogleに就職したいという回答があった。グローバル化した世界では、自国だけに教育投資を還元するシステムにはならないだろう。
Q:BYODについて。端末を買うことのできない低所得層の家庭が多い学校には一斉配布するという話だが、学校によって受けられる教育の差はあるのか?
A:国策で、ICT教育を行わなければならないとされている国は、低所得層の多い地域の学校については、BYODにできないため、学校側がまとめて購入している。国がICT教育をカリキュラムで義務付けている場合は、どのカリキュラムでどの動画を見せるかといったマスト項目が決まっていることが多いので、ICT機器は使わなければならない。所持端末数に関しては地域差がある。例えばスウェーデンの比較的富裕層の多い地域の子どもたちの中には、1人3台くらい所持しているため、自分の端末を全部学校に持って来る生徒児童もいる。
Q:教材は、OSに依存しないのか? BYODに対応できるのか?
A:BYODを推進する国では、OSに依存せず、どの機種でも使えるように、カリキュラムの標準化進み、それに従い教材が作成されている。
Q:諸外国では、デジタル端末に対する仕様上の要求はあるのか?
A:型にはまった要求がほとんどない国が多く、教師が仕様に関わりなく自由に使うことのできる国も多い。日本からみると要求がほとんどない国もあり自由度が高く驚くかもしれない。そこにこだわるのではなく教育の内容が重視される。
プログラミング教育
Q:プログラミング教育導入が、小学校1年生で導入した児童と2年生導入した児童とでは違うというのはどういうことか?
A:プログラミング教育は、コードを黙々と書かせる授業形態ではない。色々な教育ソフトを使い、論理的な思考を身につけることができるものである。こういった授業を通して、コンピュータの仕組みを理解するようになるだけでなく、全ての考え方や発想を論理だて創造したり理解したりすることに繋がる。早期教育の利点を活かした例は他にもある。オーストラリアでは、外国語を使って算数などの授業を行うプログラムがある。日本の中学校では、英語の授業で英語を教えるが、他の教科において、英語を使って勉強することはほとんどない。そういった外国語バイリンガルプログラムを行う背景には、早期に他国語で学習することが、脳の発達によいという研究からであると、インタビューを行った際に言われた。
Q:見たら感じる差、試験結果から見える差はあるのか?
A:見たら感じる差は、まずはキーボードタッチ等の操作。また、成績データを見ても違いが出ている。小学校低学年は脳がどんどん発達する段階であるため、色々なことをあらかじめ小学生くらいにやらせておくのがよいといわれている。音感なども、大人になってからはもう手遅れだといわれている。
Q:プログラミングはどれくらいの時間をかけるのが理想的か?
A:義務化されている国は、最低週1時間行っている。理想は、週2時間といわれている。
デジタル化の負の側面
Q:小学生の段階からメールアドレスを持たせることで、いじめ等のネガティブなことは起きているのか?
A:クイーンズランド州では各教室に、「ネットいじめは許しません!」というような張り紙がぺたぺたと貼ってあった。オーストラリアでは、個々の児童に与えられるIDによって、誰の発言なのかわかるようになっていることを子どもたちも認識していて、ネットでいじめをすると足がつくというのはわかっているのでやらない。
わが国への示唆
Q:日本の遅れをずいぶんと感じたが、どのようにしたら追いつけるのだろうか?
A:先進国だけについて講演したのでそういう遅れを感じるかもしれないが、日本の子どもたちの方が、家ではゲーム、スマートフォンでソーシャルゲーム等を上手く使いこなしている例も少なくない。ゲーム機やスマートフォンの普及率をみても、日本の学校でICT機器を有効的に取り入れたら、すぐに使いこなせるようになるだろう。
Q:作文でWordを使う際、スペルミスは自動補正する機能がある。これを悪いと思うのか?良いと思うのか? 日本は漢字を書いて覚えなければならないが、最近は、文字を入力したらわかる。こういったことはどこまでICTで行うべきか?
A:インターネットで検索さえすれば正しいスペルも語句の意味も出てくるので、とにかくICT教育を行うことを優先し、全部のスペルを覚える必要性はないと考えている教師や国もある。スペルを覚えるよりも、どこのサイトで何を検索すればいいのかを知ることが大切であるという考え方である。また、教員がみるよりも、Wordの方がアンダーラインでミスが表示されるため、見落としがないという教師もいた。デジタル端末でいつでもどこでも学習できる時代になった場合、家庭で学習できることは学校では行わないといった考えの学校もある。せっかく子どもたちが集まっているのだから、グループワークを実施すべきであるという考えからである。その方が一人で勉強したよりも知識の定着率が高いというデータもある。もちろん、個の学習をしっかりさせた上で、恊働学習、アクティブラーニングを実施しないとグループワークは成立しない。ちなみに、デンマークのある小学校を訪問した際、学校で知識を学ぶ時代ではないと言われた。
Q:BYODでデジタルを使わないといけないというデンマークのような全国一斉の決まりにすることは、国民を縛るということになるが、国民に納得してもらうために、どのような論理展開をしたのか?
A:どんな社会人に育てるかという教育が、北欧の教育現場では基本となっている。例えば、今は、パソコンを使わないと就職活動ができない時代である。このような社会的背景から、小学校では何をしたらよいのだろうか?ということを遡って、どんどん今の時代に必要なことを学習内容に取り入れるのである。大人たちがやっていること、問題が起きていることについて、時代に対応する術を教え込んで行く必要性があるだろう。カリキュラムを作るときにも、ただ知識を学ぶ詰め込み型や何を習得するかという古典的なスキルの育成を目標とするものではなく、このネット社会に生きるために何がどう必要なのかを考えてカリキュラムを作り、新教科を作ることが先進国では行われている。日本は教科のしばりがあるが、目標に応じて、教科もカリキュラムも変えていくこともこれからは必要だろう。例えば、北欧では、学習指導要領を少なくする方向にあり、教員による裁量を大きくしている。
Q:日本の小中学校が複合的な科目に切り替えるとなったら、教員は対応できるのか?
A:日本の教員は、教科別に採用される。今現在、情報科の科目では採用が少ない。情報の授業も先進国に比べ少ないので、生活科や総合学習の中でもっと長時間対応しないと厳しいかもしれない。日本の教育は、この科目でこれを教えなければならないといった考えだが、逆に、何を教えなければならないか、それをどの教科でやっていくべきかという逆算で考えていくべきである。その発想からすると合科という選択肢も出てくる。
Q:21世紀を生きる子どもたちに必要な教育が何かについて、各国で共通理解があるのか?
A:どこの先進国に行っても、21世紀スキルに対応した教育が行われ、日本の教育現場よりも、理解と実践が多いと感じる。例えば、Microsoft等の会社が、21世紀スキルをつけるための無料提供等を行っている例もある。日本は大学でさえ、「社会で実際に使うことのできる能力」を教育していないとの批判を受けている。大学においてはもちろん、それが全てではないが、少しでも社会に出て役立つものも学んで行くべきという考え方もある。学校教育の役割を見直さないと、企業の側にも支障がでてしまい、国も成り立っていかないのではないかという危機感が、比較的規模の大きくない国にはある。
Q:教育改革は、何をどうしたら少しでも変わると考えられるか?
A:まずは教師教育を変えなければならないだろう。これまでは教員教育も一斉教育が多かった。しかし、教師教育においても、興味別、能力別、教科別といったグループワークを、少人数で行う必要がある。また、国のカリキュラム編成も時代に沿って変えるべきであるので、小中連携、高大の連携がひとつのチャンスではないだろうか。デジタル教科書を入れても成績が上がらなかったという見方があるが、それは、従来型の知識注入型テストでやっているからである。21世紀型スキルを測るPISAのようなテストを行えば、結果も変わるだろう。アダプティブテストのように、回答時間や正解度によって、次に出てくる問題が変わる形式のテストをナショナルテストとして実施している国もある。しかし、他国を真似るのではなく、日本がどういった人材を育成したいか。また、日本の企業がどのような人材を求めるのかを遡って考え変えていくことが大切である。
Q:なぜ、他の国は変われたのか?
A:日本は、学校導入する際、反対勢力があってなかなか厳しいという状況があったと聞いている。しかし使わなければリテラシーは高くならない。これはネットいじめがあったからもあるだろう。各国、トップの人たちが、先の先まで考えた制度を、お金をかけて作っている。お金のかけ方が日本とは全然違うし、国の危機意識も違う。