少子高齢化が進む我が国にとって最大の社会問題の一つである、医療費の高騰・介護負担の増大に対する解決策の一つが、健康・医療・介護分野での情報通信の利活用です。
シリーズ第2回として、患者カルテ情報(EHR)システムの開発と普及に精力的に取り組む、特定非営利活動法人日本医療ネットワーク協会の理事、吉原博幸氏(京都大学名誉教授に講演いただきました。
日時:2013年11月28日(木曜日)18:30~20:30
場所:東洋大学白山キャンパス5号館1階5101教室
司会:山田 肇(東洋大学経済学部教授、ICPF理事長)
講師:吉原博幸(日本医療ネットワーク協会理事、京都大学大学院情報研究科EHR共同研究講座ディレクター、京都大学名誉教授)
講演資料はこちらにあります。
冒頭、講演資料に基づいて、吉原氏は概略次のように講演されました。
- EHR(患者カルテ情報)の目的は医療の継続性の確保である。生まれてから今までどんな医療を受けていたかを記録し、それを次の病院で活かす、1995年頃に生まれた考え方である。今までは、それぞれのクリニックにデータが置き去りにされ、保存期間5年を過ぎると廃棄されていた。先週、血液検査をしたのに、今週も別の病院で血液検査を受けるというようなことが起きている。医療システムを改革するのがEHRである。
- 各国のEHRを見てきた。2008年は米国、2009年にはヨーロッパ、2010年にはカナダ、2011年にはオーストラリアとニュージーランド、2012年にはシンガポールを視察した。評判のよいところに行ったつもりだが、米国は成功していない印象を受けた。それは、中核大病院とそれを囲むクリニック群それぞれに閉じたシステムになっていたからだ。
- 一方、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、シンガポールには国レベルのトップダウンの関与があり、それぞれ成功しつつある。これらの国々では、国家EHRが、州ごとに構築されたEHRを相互接続し、情報連携できるようになっている。情報連携の核は医療ID(医療用の個人番号)である。一人ひとりの患者に関わる治療・検査・投薬・画像などが統合され閲覧できる。カナダでは開業医を訪問したが、そこでも他病院で撮影した腎臓の超音波画像が閲覧できた。
- カナダのEHRの青写真をつくったのは、Infowayという連邦政府保健省の外郭団体である。外郭団体によってEHRプロジェクトが遂行されている理由は、保健省などのような官僚組織では、事業の継続性を担保出来ないからである(頻繁な異動)。
- 病院、クリニックで使われる電子カルテシステムについて、最初は30程度のベンダが競争していたが、今では7ベンダまでに減少している。EHRに接続出来ない電子カルテが使われなくなって来たことと、システムの使い勝手などについて市場競争で改良を進めてきた結果である。
- ニュージーランドでは患者の家庭を中心に据え、在宅医療を原則として、EHRが構築されていた。2010年からの第一期では、電子処方箋・電子紹介状・電子退院サマリーなどが整備された。2012年からが第二期で、患者のバイタル情報・医学的事象情報・ケアプラン・意思決定支援などを整備する。介護・リハビリまで統合しようというわけだ。
- シンガポールにはカナダの経験が持ち込まれた。そのうえ、EHRデータを匿名化し、大量データとして研究に利用することも計画されている。
- 日本のEHR構築は諸外国に比べると組織的でない。政府の積極的な、トップダウンのリードがないためである。日本医師会の今年の統計では、IT連携医療プロジェクトの総数138で、参加している病院800、診療所3200と数は非常に大きい。しかし、医療再生基金からの支援が切れれば、これらのプロジェクトは終わってしまう恐れが高い。
- 情報連携の方式は、集中型(地域のEHRに地域の医療機関が参加)、分散型(各医療機関にデータは分散し相互参照)、その他の3種類がある。現在増加しているのは分散型で、集中型は京都大学の使っているDolphinなどに限られる。
- 医療の継続性を担保する三つの技術的要件がある。第一が所在。患者が病院に診察にきた際、別の病院で診察を受けていないか日本中からデータを探す。第二が互換性。各ベンダのEHR間で病名コード・医薬コード・検査コードなどが統一される必要がある。病名はやっと統一コードができたが、他はまだバラバラである。第三がアクセス制御。EHRではアクセス制御が必要不可欠で、どの項目を誰と共有するか指定するシステムを作らなければならない。
- 京都大学が利用しているDolphinは、XMLベースの医療用マークアップ言語を開発し(MML)、それを用いて情報連携するシステムである。システムは集中型で、データセンタに患者データを永久に蓄積する。銀行と同じように、患者の口座が作られてデータが貯まるイメージである。
- 将来的には、匿名化して、研究のため二次利用したい。製薬会社は匿名化されたデータを喉から手が出るほど欲しいので、EHRの運用資金の源になる。
- 当初はデータセンタを熊本、宮崎、京都、東京の4か所に設置した。その後、札幌市に共有データセンタを構築し、京都のデータを移した(沖縄、長浜、東京は準備中)。これで、京都の費用も節約できた。各地のシステムの患者情報を国レベルで名寄せできるようになっている。中国浙江省のEHRとも、国境を越えて、名寄せできる。
- 京都で実施中の「まいこネット」には、PC、スマートフォン・携帯、iPadでアクセスできる。患者の立場でアクセスすると「地域共通カルテ検索」が動き、いろいろな病院で検査した血液検査データなどが一括表示され、患者自身が閲覧できる。臨床サマリー、退院サマリーも表示できる。iPadの場合は、一度閲覧するとiPad内に保存される。震災のような非常時にも過去の医療記録を利用できるようにするためである。
- アクセスコントロールは、患者情報、保険情報、病名、退院サマリー、検体検査結果、病理診断結果、内視鏡診断結果、放射線診断結果、処方オーダー、注射実施内容、手術記録、紹介状、最近検査結果の13項目で、①地域診療所・患者ともに開示可能、②地域診療所・患者ともに開示不可、③地域診療所のみ開示可能の3つのレベルで診療科ごとに制御できる。アクセス制御レベルには、患者からの意見も反映している。
- 長浜EHRプロジェクトは、長浜市の1万人(30~60歳)の健康状態を30年間継続的にみていくプロジェクトであり、初回には遺伝子も調べている。九州大が実施している久山町コホートが有名だが、長浜EHRプロジェクトはこれに匹敵する。
- 分散型では、目次情報だけが中央にあり、それぞれのデータは各病院にある。しかし、病院にデータの保存期間を長く求めることはできないので、長浜プロジェクトでは、各病院の短期データを中央のデータベース(Dolphin)に移管し長期保存する統合型を試みている。
- EHR構築には政府のリーダーシップが必要である。国レベルでEHR構築の青写真を描き、基盤整備に資金投入すべきである。全国で7000億円ぐらいの予算が必要になるはずだ。政府または全権委任された別組織によるEHR基本方針の策定・国民健康ID(医療ID)の実現等を進めるべきだ。国民は自分のデータを閲覧可能とし、医療提供者と共同でケアプランに参加するのがよい。
講演後、以下のような質疑応答があった。
Q(質問):国レベルでEHR構築するのに7000億円という金額は、国民医療費38兆円に比べれば大した額ではない。国民目線では7000億円投じても、効果が7000億円以上あればよい。7000億円売上が減ると医療関係者が反対しているのではないのか?
A(回答):不必要な検査が5%程度あると言われる。医療費全体で検査が占める割合は、おおよそ3割。不必要な検査をやめるだけで、7000億円は数年で元がとれる。医師会は50兆円まで医療費は伸びると言っているが、これ以上は増やせないと思う。少なくても、伸びは抑えなくてはいけない。
Q:個人の開業医で電子カルテ導入が進んでいないというが、クリニックの数は約10万ヶ所。1クリニックに100万円ずつ援助しても総額はたいしたことはないのでは?
A:その通りだと思う。ステークホルダがたくさんがいるので難しいが、安倍政権の勢いがあればいけるのではないか。
Q:マイナンバー法が成立したが、厚生労働省は別に医療等IDを作ろうとしているのか?
A:私も理解できない、マイナンバーはサービスごとに異なるIDを振るので、それでよいはず。
Q:病院からデータを出すときには暗号化しろなどという話があったが?
A:本当はそこまでやる必要はない。データを暗号化するしないは、セキュリティの立場からは、大きな違いはない。厚労省は安全を必要以上に要求するが、実現性は乏しい。
Q:カルテ情報は誰のものか?
A:答えは出ていない。客観的情報(検査データ、CT画像そのものなど)は患者にあげてもいい。放射線診断書・経過記録の著作権は医師・看護師なので、渡せないという感じである。しかし、全部患者に開示しようという動きもある。
Q:熊本、宮崎では全面開示だそうだが、地域性があるのか?
A:地域性もあるかもしれない。京大は、患者を他病院に紹介する際にも放射線診断書は出さない。CT画像は切り方によって解釈が異なることがある。それを別の病院で指摘されたら困る。診断結果のどこまでを免責とするか、放射線の学会で議論してもらう必要がある。
Q:シンガポールや英国などのように、集中型のセントラルレポジトリーに入れる場合は、どうなのか? 全部閲覧できるのではないか?
A:医師レベルでアクセス制御することになる。
Q:患者の同意の元に、診療記録を他の意思が閲覧するのを許可するという仕組みでは、矛盾が起きないか? 今の医療の慣習からは、国家EHRは難しいということか?
A:その通り。あじさいネットが患者に許諾をとりはじめたのは最近のこと。今までは医療者の善意で100%提供するというのを前提としていたが、患者がコントロールする方向に向きを変え始めた。
Q:個人のEHRのアカウントにある情報でも、その患者はすべてを見られないのか?
A:情報は入っているが、患者はすべてを閲覧できない。例えば、通常のカルテには疑いを含め、病名が20ぐらい付いていて、それを見ても患者には理解できないだろう。
Q:長浜市はコホートのために匿名化しているということだが、保険者がデータを匿名化することに問題はないのか?
A:長浜ルールという条例を作った。その上で、今の長期観察コホートが始まった。
Q:日本はトップダウンが駄目というが、B2Cなど利益が出そうなところから始めることはできないのか? たとえば、電子処方箋を薬局にインターネットで飛ばすなど。
A:東京都の医師会でそんな試みをしたときいたことがある。しかし、補助金ありきで動いているのでは、真の動きにはならない。
Q:23andMeのようなサービスでは、データを先に蓄積した人が勝者となるのではないか?
A:B2Rはまだやっていない。長浜が最初のケースになると思う。
Q:介護データも接続しないのか?
A:介護のデータはバイタル・食事・体の動き様などが主で、まだ学術的対象ではない。ただ、MMLでも介護データをどう表現するかは決まっていて、今年度中に実装される。