概要
総務省では「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」を組織し、通信法制と放送法制の統合について研究を深めています。この新しい法体系によって通信と放送の融合が促進されるかどうかについて、世の中には賛否両方の意見が存在します。
情報通信政策フォーラム(ICPF)では月次セミナーでこの新しい法体系について議論を深めていくことにし、10月にはその第1回として「研究会」の事務局を担当されている総務省の鈴木茂樹課長をお招きしました。
連続セミナーの第2回目は、TBSメディア総合研究所の前川英樹社長をお招きし、放送事業者の考え方を伺います。
<スピーカー>
前川英樹(TBSメディア総合研究所社長)
<モデレーター>
山田肇(ICPF事務局長・東洋大学教授)
<日時>
11月26日(月)19:00~21:00
<場所>
東洋大学・白山校舎・6号館6216教室
東京都文京区白山5-28-20
<入場料>
2000円
第23回セミナー講師 TBSメディア総合研究所社長の前川英樹氏が、セミナーの感想をTBS総研のウェブサイトに公開しました。
レポート
講師にTBSメディア総合研究所社長 前川 英樹氏をお招きし、「通信・放送の総合的な法体系に対する放送事業者の考え方」と題して講演と議論が行われた。
総合的な法体系が議論の俎上に上った理由
今、なぜ総合法体系が様々な議論の対象になっているのか。現状の法制度は複雑でテレビ局はネット系の事業がやりにくい、ベンチャー型ビジネスにとっては参入の絶好の機会、政府与党合意というお墨付きがある、「法体系を総合的に見直す」というのは官僚にとって千載一遇のチャンスといったいろいろな理由があるだろう。
それを認識した上で、今日は次のような論点で話をする。
・ 「コンテンツ適合性審査」が与える影響、所有規制と行為規制のバランス
・ オールIPと地上デジタルの関係
・ 有害情報と法制のレイヤー化
・ 産業政策としての総合法体系 など
この議論には情報通信審議会と在り方懇(竹中懇)の二つの流れがある。多少語弊があるかもしれないが、情報通信審議会は従来手法(制度化されている審議機関)による行政主導型。在り方懇は政治主導。以前にもハードソフト分離論があったが、在り方懇は一つの集大成であった。
在り方懇の報告書を振り返ると、前提としてソフトパワーの重要性が高まり、また日本はインフラも世界最高水準となった。よってその上を流通するコンテンツとブロードバンド・モバイル・テレビを活かしていくという認識がある。それが法制度のレイヤー議論へとつながっていく。
報告書の骨格として、放送には事業自由度の拡大、通信は公正競争の促進という二つの軸がある。その上で、具体的には融合市場拡大の環境整備、伝送路の多様化に対応した包括的著作権規定、技術標準の在り方、NHK・NTTの技術研究の在り方の見直し、IP化のメリットの享受(規制硬直性の見直し)などが、提案されている。
放送におけるテーマは、経営の在り方については、マスメディア集中排除原則緩和、事業の垂直統合容認、メディアコングロマリットの形成。インフラでは、未利用周波数に役務利用法適用、周波数の有効利用、NHKの伝送部門の分離。放送コンテンツに関しては、公正なコンテンツ取引市場、NHKの娯楽・スポーツの分離など。ここから、総合的に法体系を見直すべき、という考え方が出てきた。
この報告書の要点が政府与党合意となったが、そこでは「レイヤー型」という表記はない。しかしこれを受けてスタートした「総合的法体系」の研究会では、レイヤー型法制度しかないだろうという暗黙の認識があったように思える。それ以外の可能性は論議していない。民放連はこれについてレイヤー型に転換する具体的な利点や意義は見いだせない旨意見を表明した。
そこでも指摘されているが、「表現の自由」や「通信の秘密」といった憲法との関係から見直すことが重要だと考える。法体系の検討として基本理念は本質的な問題だ。中間とのまとめでは、理念と個別の法との関係が曖昧。(前川註:法的には「表現の自由」や「通信の秘密」は憲法で保障された公理のようなものだが、社会的にはそれがその時代にどのような意味を持ち、どのように機能しているか常にレビューする必要がある。)
メディア規制の状況感覚
法というのは成立したその時から現実的な力を持つ。作る時点での力学(理想・利害・思惑)と、法が働き出したときの実際の力とは差異がある。
放送免許における適合性審査についてみれば、番組編集基準について審査されるとすると、それは言論規制などの面からもいかがなものかと思う。総務省の担当者や研究会の委員はそうした言論規制に関与するつもりはないと言うが、その担保があるわけではなく、「つもりはない」ということで制度を考えるかのは間違いだ。電波が国家資源・公共の財産である以上、許認可は必要。それは確かだが、一方では放送という言論機関をどう規制するかという面で見たときに、現在の電波法・放送法という二層構造による間接規制は優れた知恵だと思う。優れた規制はそのまま利用した方がいいのではないか。
私は放送・通信は新たなサービス領域の登場など、融合はありうると考えている。しかし、そこを産業論として考えるのではなく、メディアの問題として考えることが大事。放送というのは国家と放送の共存関係として国民・市民の共通の意識空間を形成し、同時性・同報性を持つ。インターネットは分散・トランスナショナル型で国家からの遠心力が働く。であれば、全部をインターネットが代替するわけにはいかない。今あるハード免許と所有規制の合理性を国家から崩す意味があるのだろうか。
情報は媒体を選択し、媒体は情報を規定する。特に、パッケージ(固体)型の情報よりもライブ(液体)型の情報のほうが、メディアによって性質が変わっていく。たとえば会話をするにしても、メールと電話では表現が違い、意味の伝わり方も違う。媒体によってメッセージも変化するという、メディア論的な観点が大切である。
メディア論(メディアとメッセージの関係)で見ると、私はレイヤー規制という考えに賛同しない。メディア論の観点から見れば、中間報告にあるコンテンツ規制の概念は曖昧で、明確化が必要だろう。中間とりまとめはあり方懇から引き継いでいる産業政策が基本にある。メディア論的論点から政策立案をすることは出来ないが、政策から何が欠落しているかを指摘することは重要。
オールIPと放送を比較した場合、現在の技術とコストの関係からオールIPでは放送のように同一情報を同時に全世帯へ配信することは難しいのではないか。一方、TS伝送の地上デジタルテレビのネットワークインフラはほぼ構築されつつある。放送局経営がどうなるかは別だが、放送インフラは、当分維持される。その意味でオールIPという考え方で、放送も含んだ法体系を考えること自体に無理がある。
ネット上の情報規制については「安心・安全」という観点から、ゾーニング規制が検討されている。生活感覚から言えば出会い系、自殺志願サイト、犯罪誘発情報など、危ないというものがあるので、それ自体を規制することは受け入れられるだろう。しかし、「ネットワーク上の情報を規制する」という論点は重要で、定義から慎重に議論すべきである。
「安心・安全」という考え方は、それ自体の中に完全性を求める働きがある。デジタル情報がすべてデータベース化されようとしている状況で、「安全・安心」の完全性を追究すると全ての情報管理という問題に行き着く。これは危険ではないか。通信には本来匿名性があるのに、これが否定されることにならないか。
中括りの法制度の可能性
法技術の観点も大切。大括りだとレイヤーだが、中括りだと何か?という議論はしたのか。現状で話を最初にまで戻ることは期待できないが、そういった議論が足りていない気がする。
また、レイヤー型法制度では基幹メディアという定義が難しい。地域免許というものがあるが、地方は経営が大変で、地方民放テレビ127社すべてが幸せに生きていけるとは思わない。むしろローカルにおいてはテレビ局とCATVの関係を見直しても良いのではないか。今テレビ局がCATVを経営支配すること制度上は出来ないが、その見直しやあるいは地域系新聞社との関係をどうするかなど、ローカルには全国メディアとは違う規制のあり方があっても良い。もちろん言論の多様性を確保するという問題はあるが、
IPTVはなぜテレビの再送信なのか。IPTVが独自のコンテンツ流通ネットワークになることは賛成。各社とも様々なビジネストライを行っている。ネットに対してテレビ局が放送コンテンツを抱えこんでいるわけではない。現状では投下する商品に対する経済的なメリットがとれないのだ。二次流通のための商品化(著作権処理のコストと労力)と収入が見合わない。いまは、ビジネススキームがどうすれば成立するかの段階。お金になればもちろん拡大する。現状でTVは一次流通が最大限の利益源と考えており、それを最優先している。ネットでも見たいという人がいるのもわかる、それは供給と受給の関係で成立していくものだ。再送信は、それとは別の話。インフラができたから他人のコンテンツを出すべし、というのは乱暴な話ではないか。
放送局のネットビジネスについては、権利処理が容易でなく、なかなか採算性のとれるビジネスにならない。どんどん出したいし、eコマースやモバイル分野などでもビジネスチャンスをねらっているが、現状ではジョイントベンチャーなどにより開発中。
デジタル流通の著作権について
著作権について、ブログなどで自由な表現を目指す人々の中には、著作権保護は表現の自由を阻害している、無償で使うことが一般化することで市場は活発化するのではないかという考え方が出てきている。もしコンテンツ市場を活性化するならば、権利保護よりコピーフリーという主張もでてくるのではないか。あたらしいメディア行為やビジネス開発がドンドン出てくる時代だからこそ、著作権とは何かを改めてキチンと考えて議論すべきで、放送局もその議論に参加することが必要。
ここまで述べてきた幾つかの問題は、総合的法体系が出来るまで待っているものでなく、個別にどんどん検討していくものと考える。
通信と放送の関係(まとめ)
総合的法体系の問題を考えていくと、幾つかの大きな論点にぶつかる。
放送と通信の関係は入れ子関係ではないだろうか。TVはインターネットを取り込むことで情報社会のポジションを確保するし、インターネットはテレビを環境として受け入れることで将来を選択する。融合とは、その入れ子構造が成長していくことだと考えている。
ネット社会の拡張で、コミュニケーションのあり方が変化したことは間違いない。そうした技術変化は、産業を製造型から情報型にシフトさせつつある、これもそういう流れ。
その中で放送には、権力からの自由(異議申し立て)、共通の意識空間の形といった機能がある。インターネットには、個人としての情報発信と情報消費の面で経験したことのない大きな変化に遭遇している。
そうした変化と関連して、ネット上の知的行為(著作権のあり方)について、贈与型行動と創作行為の関係も問われてくるだろう。また、情報管理とデータベース化の関係から、果たして安心安全という観点でどこまでネット上の情報規制がありうるか。
総合的な法体系といっても、これらすべてに責任を持つということにはならない。むしろ、総合的法体系の議論が問題提起して、なおかつ法体系の中では見えてこない問題を考えることが、メディア全体を考えるために重要。研究会から最終報告が出ても、議論はそれで終わりではない。
質疑応答
(質問)TVではなくYouTube等しか見ない若者をどう見る?またこれらのサービスに対する総合法制の在り方についてどう考えるか。
→ TVからみるとまず権利侵害があるが、新しいコミュニケーションツールとしてみると、今まで無かったから大勢の人たちがおもしろがっているのだと思う。少し質問の趣旨と外れるが、この質問で一番思うのは、こうしたことを日常化している若者がTV局や新聞社に就職してくると、TV局であれ新聞社であれ、そういう感覚でブログを扱うようにTVや新聞に接するのではないかなと思う。制度面でなく、意識面で融合している世代がくる、この辺りがメディアに与える影響については、良い悪いでなく今後考えるべきことだと思う。
YouTube等は社会的に相当の影響力を持っていると思うし、そういう時代のTVの役割をとらえ直す時期に来ている。また、今はとらえ直すべき状況にあるという認識が大事。総合法制との関係だが、こういったサービスはどういう政策であろうとも成長するものは成長するだろう。規制の問題ではないとも思う。
(質問)ネットで見ると、ニコニコ動画と第二日本テレビは違うけれど、ワンセグで見たときに、テレビ局のコンテンツとauやソフトバンクの番組との差別がつかない状況。これをどう考えるか?
→ 今のままかは別として、たぶんその通りになると思う。それが法体系のレイヤー化とかみ合っているかは、私にはわからない。
(質問)水平分離、レイヤー化は私どもが申し上げてきた。その立場から見ると、前川氏は法律を過大評価しすぎてはいやしないかと思う。個人情報保護法のようなざる法を改正せずに使い続けているが、情報は0か1のビット列でしかないので、個人情報は識別可能というのは難しい。ウィルス作成罪も成立すれば同様にざる法になる。取り締まりは、事後的には可能。事前規制は出来ないかと思う。法の実行力を過大評価しなくてもいいのではないか。
→ 総合的法体系の影響を過大評価しているわけではない。法律としての力の問題と同時に、法律外に波及していくこと、その影響を考えている。法律というのは、ざる法も悪法もまた法、一度できてしまうと実態として機能してしまう。
ただ、コンテンツ審査基準、ここについてだけは過大ではなく問題視している。
(質問)メディアの機能として申し上げられた「異議申し立て」(言論の自由の主張)についてだが、これを市民運動としてやる健全な組織が日本に無いことの方が問題としてとらえた方のがよいのではないか。本当に言論の自由を主張するならば、徹頭徹尾戦うべきだ。メディアもいるけど、メディア以外にもNPOがいるのではないか。
→ 同意する。NPOではないがネット上にはそんな動きも出てきている(荻上チキさんのいうカウンターカスケード)。これらはマスメディアと違う形の情報伝達の場として成立しているように思う。正に、法体系の外の話。
(質問)10%も自社で作らない地方局が地方的に根ざした番組の提供、というのは嘘だと思うし、一日に1千万円しか使えないのではそもそも無理。県域免許でなく、道州制的なアプローチが必要ではないか。
→ ほぼそう考えるが、放送だけ現状で県単位を撤廃できるかは難しい。「地方の時代映像祭」に参加する番組のように、一年に一本程度かもしれないが、地方局でしか出来ない優れた番組も存在する。それ排除してしまってはいけない。
(質問)オールIPで県域免許をなくすことについて、どう考えるか
→ 地上波のネットワークとの関係。地方局として、何かメリットか。各ローカルが、全国発信する方がメリットだという考え方が強まれば、地域免許は自分たちを縛るからいらないとなるだろう。しかし、仮にIPで独自にやるとして他県の事業者と組むにしても、本当に自分たちで自立出来るかという見通しが立たないと難しいのではないか。キー局が圧力を掛けているわけではない。
(質問)ネット滞在時間が増えればTVの同時性・同報性の価値が薄れるのでは?
→ だからこそ、二次流通問題はテレビ局にとっても重要。テレビの媒体価値という点では、対策を更地で一から考えるのではない。50年続けてきたテレビ局のDNAとして、マスメディァとしてライブ機能をどう高めていくか、という点がTVのあり方の原点だろうとも思う。スポーツの生放送、事件の生中継などがそれ。
(質問)YouTube等に見られるように、編成権が視聴者に移っていくのではないか
→ 編成権が移るというより、選ぶ人々の選択肢が増えるということ。どこかで、TV局がターゲットを定めて編成する意味を失い、コンテンツプロバイダになるタイミングが来るかもしれないが、今はそうではないだろう。
確かにBBCのようにコンテンツプロバイダになっている例もあるが、BBCは国から強制的に、CBSは買収されてそうなったということ。日本のテレビ局は現状ではそうならない。ただし、キー局であっても自社で100%番組制作しているわけではない。人材という自社の経営資源をどこに投下するかはきわめて重要な問題となってくる。制作会社との関係について、公正・正常な関係を継続的に築くことによって、制作会社の制作力を強めることも大切。
(質問)先ほどのBBCやCBSにはならないといったが、日本の放送局の非効率性はどうするのか。しかし非効率性によって利益を守っている側面もあるとすれば、レイヤー型による効率化によってダウンサイジンズする可能性はあるのでは。
→ 率直に言えば、放送が情報産業全体の成長について考えているかと言えば、考えているわけではない。放送がどう大きくなるかは考えるが。レイヤー法制化に放送を含めるのはどうか、持ち株会社の導入のほうが放送事業のパイは拡大するだろう。
(質問)では、産業政策として考えたときにレイヤー型だと産業規模が拡大するといえるのか?
→ あり方懇はそういっているが、それがそうなのかはわからない。事業の垂直統合の容認と規制のレイヤー化の関係は不透明。
最後に、「総合的法体系は何が目的なのか? これは「情報法」を作ろうとしていると考えるべきだ」という発言が参加者からあった。今回の報告書は、通信と放送の話と考えるべきではない。憲法21条からも考えるべき。二者の対立軸ではなく、今回の話は情報法をつくる考えと考えた方がいいだろうというもの。