教育 スマホ・タブレット時代の特別支援教育 中邑賢龍東京大学教授

日時:3月26日(木曜日) 午後6時30分~8時30分
場所:東洋大学大手町サテライト
司会:山田肇(東洋大学経済学部教授、ICPF理事長)
講師:中邑賢龍(東京大学先端科学技術研究センター教授)

中邑氏の講演資料はこちらにあります。

冒頭、中邑氏は次のように講演した。

  •  異領域の人々が融合し、協働することで、バリアフリー分野の問題の解決を図っている。研究センターには、工学や建築の専門家以外にも、ロボットクリエーター、アスリート、プロダクトデザイナーや医師等が集まっている。
  • 障害者手帳を持っていれば障害者、持っていなければ健常者と認識されていた。その根拠が、1980年に制定された、WHOの国際障害分類ICIDHモデルだった。病気等で機能形態障害が起き、動作ができなくなる能力障害が発生し、仕事に支障が出るなどの社会的不利が起きると解釈した。機能形態障害を取り除けば解決するとして、医療中心で、医師が中心となって問題を解決しようとしていた。例えば、歩けない人に対して、歩けないなら歩く練習をすればいいという考え方であった。
  • 2001年、今までのモデルを変え、ICF(International Classification of Functioning, Disability and Hearth:国際生活機能分類)が作られた。個人要因だけでなく環境要因が、障害に影響すると考える分類であり、“誰もが持ちうる状態”として障害を考える。例えば、20kgのキャリーケースを運ぶとき、どうするか?多くの人はエレベータ等を探すだろう。それは、車いすに乗っている人と同じ行動である。メモが取れない困難さがあれば、ICレコーダを手にするだろう。障害は誰にでも起こり得る問題なのだ。
  • 現代は生きにくい不公平な時代である。仕事が効率化された分、就業時間が短くなればよいが、業務は増えるばかりである。主流であるサービス産業に従事するには、コミュニケーション力が求められるようになった。元々、コミュニケーションが苦手な人は排除されがちで、不利な世の中になっている。コミュニケーションが苦手、という障害のある人が社会に包摂されるように、エレベータやICレコーダのような技術を提供したいと考えている。
  • 障害者権利条約が批准され、障害者差別解消法が制定された今、教育においては、インクルーシブ教育を行わなければならない。分離教育、特別支援教育は差別に当たる。インクルーシブ教育には技術の助けが不可欠である。
  • 身の回りにあるテクノロジーを用いることで、学習支援ができる時代である。しかし、子どもはそれらを使ってはいけないという人もいるが、今は、ハイブリディアン(機械の助けを借りながら生活する人々)の時代だと認識すべきだ。
  • DO-IT JAPANという取り組みを9年前から行っている。今年から、センター試験で読み上げを許可したり、神奈川県では、読み書きができない子どもに対応した試験を行ったり、といった実績ができ始めている。読み書きができないからと落ち込んだ子どもに、自分の苦手さを補って、さらに高いところを目指すよう取り組ませる必要がある。
  • 問題は、教師の意識が変わらないことである。これからは、合理的配慮が必要で、書けない子どもにワープロを使わせないのは差別とされる可能性がある。
  • 一方で、発想を変える必要がある。昨今のユニバーサルデザインは行き過ぎている。そのため、安全検知能力が低下するなど問題が生じている。次は「ボコ」デザインと我々が呼ぶ、ちょっと使いにくい、ちょっと立ち止まって考えるデザインが重要になるであろう。働き方も変えていく必要がある。例えば、パートタイムを推奨したい。フルタイムからパートタイムに変えることで、4日働いて、1日を好きなことに充てられるようにする。

その後、以下に要約する質疑応答があった。

一斉型教育の問題点について
Q(質問):教育のICT化において、今までの紙の教科書では意味はないと考えられるが、デジタル教材に関するアイデアはあるか?
A(回答):必要性は感じていない。タブレットにデジタル教科書を入れる実証実験を長野市と金沢市で行った。当初、読み書きに困難な子どものみの配布を考えていたが、学校側の要望もあり、全員に配布した。最初は全員がタブレットを用いて教科書内容を見ていたが、回数を重ねることで紙を利用する子どもが増えていった。しかし、そこでわかったことは、児童の約3分の1がタブレットを使い続けたことである。子どもによって、教科書の文字よりもタブレットで大きくした文字の方が見やすいことから継続的に利用するといったように、読み書きが困難と認識されていない子どもにも利用されるようになった。一律はダメで、子どもによって違いがあることを認識して施策を進めるべきだ。
Q:海外では小学校1年生からキーボード入力を実施している。ライティング力が向上するという考えからであるが、先生はどのようにお考えか?
A:英語教育は早期化しているが、習得が難しい子にとっては、何歳からでも難しい。全てのこどもが、英語を使える必要はない。キーボード入力で全員のライティング力が向上するわけでもない。日本は小学校高学年でも国語で一斉に音読をさせる。しかし、文章を理解するには、耳で聞き、あるいは、じっくり読む方がよい。要するに、学びの本質を知り、個々人に合わせた教育をすべきということだ。
Q:教員と教育の現状を踏まえたうえで、教員はなにをしたらよいだろうか? 何が必要か?
A:個人がICTを使うことを妨げない態度を身につけることが必要。協働学習に関しても、無理にICTを使わなくていい。例えば、新宿区のシステムは、机の上にビデオケーブルがあり、先生がつなぐことで自動的に映せるしくみをとっている。教員が利用したいときに利用する、それだけで十分だ。紙とデジタル、どちらかが重要ではなく、両方与えて使いこなすことが重要である。どちらか使いやすい方、もしくは両方を選べばよい。

特別な支援を必要とする子供の教育について
Q:LD(学習障害)であるために、子どもが学校から排除されようとしている。国立大学附属の学校に所属させ、学校ではICTを導入しているというが、教室に入るとまったく進んでいないことがわかる。板書が困難なため、黒板に書かれた内容の写真を撮ることが限界である。どうしたらよいか?
A:板書についてだが、まずは、ほしい商品を写真に撮り、確認しながら買い物をするようにさせる。それによって、写真の価値が体得できたら、次は板書を写真にとる。撮って終わりにせずに、書ききれなかった部分の写真を見ながら、ノートに書き写す。そのように進めるべきだが、こうした考え方は、まだ、広くは受け入れられていない。
Q:例えば、親が外国人であることで、日本語が不自由な子どもがいる。日本語の表現や理解ができない子どもに対してはどうするか?
A:海外の日本人学校の調査を行っているが、問題がある。日本に帰らなければならないと考えている人への学習に、タブレットが有効だと考えているが、サポートシステムがなかなかない。プロジェクトを進めていく必要がある。
Q:果たして、障害児教育は福祉なのだろうか? 障害者権利条約の観点では、福祉と考えるべきではないのでは?
A:おっしゃるとおりである。しかし、そうするしかない重度の障害を持つ子どもがいることも確かである。ヘルパー等の福祉関係者が学校の中にいることも必要であるが実現していないのは、行政の縦割りの弊害である。

デジタル教育について
Q:教育のデジタル化を仕事としているが本当に子どもに必要か?
A:タブレットを一斉配布しても、年数が経ったら買い替える財政力はない。だから、10年後にはなくなっているビジネスかもしれない。
Q:ものをつくることに制作費がかかるが、どうするのか?
A:子どもの教育に本当にICTは必要か?ということを考えるべきである。