メディア ネットがテレビを飲み込む日

概要

「ブロードバンド大国」になった日本ですが、そのインフラを使ったサービスは、なかなか立ち上がりません。この最大の原因は、魅力的なコンテンツをブロードバンドで流すことがむずかしいからです。ワールドカップは、なぜインターネットで中継できないのでしょうか?この状況を変えるには、どうすればいいのでしょうか?

情報通信政策フォーラム(ICPF)では、このほど『ネットがテレビを飲み込む日』(洋泉社)という本を出しました。今回のシンポジウムでは、その著者5人をスピーカーとし、この本で提起した問題について、会場のみなさんとともに考えたいと思います。

スピーカー
西和彦(ICPF代表)
林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学 副学長)
原淳二郎(ジャーナリスト)
山田肇(東洋大学教授)
モデレーター:池田信夫(ICPF事務局長)

日時:7月20日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル3F(地図)

入場料:2000円

レポート

池田:この『ネットがテレビを飲み込む日』という本は、洋泉社の編集者から、通信と放送の融合について書いてみませんかという話が半年ほど前にあって書いたものです。ご存じの通り、情報通信政策フォーラムではこの1年半くらい、ほとんど毎月、通信と放送の融合ということについてセミナーでやってきたので、その内容をこのあたりで一度まとめてみようということで書いたのがこの本です。
私が担当したのは総論的なところと放送のところなんですが、いま読んでみると、もうこの本はインターネットの世界では古本になってしまったかなという感じがします。ドッグイヤーでいうと、本を書き始めてから3年か4年たっているわけです。この本でも最後の座談会のところにYouTubeについて書いてあります。皆さんご存じの通り、YouTubeというのはインターネットで動画を配信するサイトなんですが、先週発表されたところでは、1日に1億アクセスあるというんですね。
この本を書いたときのわれわれの問題意識というのは、通信と放送をいかに融合させるかということだったわけですが、インターネットの世界でよくあるように、役所もNTTも大手メーカーもみんなこっちだ、という時にはたいてい間違ってるんですね。まったく別の方向から、誰も予期しなかった革新的なビジネスが出てくる。
まさにワールドワイド・ウェブがそうでした。1993年に、フロリダでタイム=ワーナーがビデオ・オンデマンドの実験を始めた。これこそマルチメディアの本命だと、みんな思って、日本からもたくさん見学に行きました。同じ93年に、イリノイ大学のウェブサイトに「NCSAモザイク」というフリーソフトウェアがアップロードされました。それはマーク・アンドリーセンという大学生が、時給6.8ドルのアルバイトで書いたブラウザでした。世界を変えたのは、何億ドルもかかったフロリダのプロジェクトではなく、時給6.8ドルのほうだったわけです。
この業界のこわいところは、そういうことが何度も起こるということです。おそらくそういうパラダイム・シフトが今、起きているような感じがします。ご存じのように、今年の前半は総務省の通信・放送懇談会が、ほとんどこの本に書いてあるような内容を議論していました。役所もNTTもNHKも民放も、IP化を進めろというのと止めろというのは違っていたかも知れませんけど、問題設定(アジェンダ)そのものはみんな同じだと思っていたわけです。しかし、どうも私の印象では、アジェンダそのものが今、変化しているのではないかという気がします。

山田:今回線の状況がどうも悪いようで、どちらかというとそちらの会場の回線が細いせいなんですが、そのようなわけで音声が時々とぎれたりするので、ビデオ画像も今僕の顔を送っていて見えていると思いますが、あまり送るつもりはないんですね。
で、僕がいいたいことは、こんな風にSkypeはろくでもない技術なんですが、でも僕がつくづく思うのは、クリステンセンという『イノベーションのジレンマ』というのを書いた人がいっているように、最初にこういう新しい技術が出来た時に、「ほら、きちんと送信できないじゃないか」とか、「声がとぎれちゃうじゃないか」とか、「声がざらざらしているよ」とか、いって批判するのは非常に簡単ですが、そんなことをしているウチに技術はどんどん改良されるから、来年の今頃にはこんな風な不安定な通話というのは改善されていると思うんですね。
で、技術は池田さんが仰ったようにドッグイヤーで進んでいますから、それを止めることはできないわけです。通信と放送の融合というのも同じような話で、今、通信のチャンネルの中に放送を載せることは極めて容易にできるようになったわけです。それを使って例えば音声の放送とか、音楽の放送とか、既に実際に行われている、ドイツにいる僕が日本の音楽を聴こうと思えば、Yahoo!に行けば無料で聴けるわけです。
止まっているのがテレビ放送だけだとしたら、それはテレビの人が「こんな画像の悪いところに送れないよ」とか、いろいろな技術的な要因を挙げるかも知れないし、著作権管理が難しいよというような制度の問題をいってくるかも知れませんが、それもやはり技術が進歩すればあっという間に解決してしまうんですね。だから、そういうことを是非考えて、利益のある、全員にとって利益のある新しい仕組みに向かって制度を変えていくべきじゃないかというのが僕の考えです。

林:私の所は著作権の所を書いています。私がなぜ法律の方に逃避しているかというと、あまりにもインターネットの世界の変数が多くて、自分はとても付いていけないと思ったわけです。関数で書くと変数ばかりで、その中で定数はないのかという風に考えると、どうも法律というのは定数だなと。これはそう簡単に変えられないし、またそう簡単に作れない。可変連立方程式の中でも限りなく定数に近いというのが法律だと。これをやっていれば年寄りでもついて行けるのではないかというのが私の転向の理由です。
その意味で行きますと、通信放送融合でいよいよ著作権の所で問題が絞られてきたというのが、ある種著作権の所も変数にしなければダメという大変革の所なのかと思っております。これでは結構儲けさせて頂きまして、あっち呼ばれたりこっち呼ばれたり、こっちに書いたりと実入りがあったんですが、だんだんと馬鹿らしくなって参りました。
何がばかばかしいかというと、結局著作権法というのが壁だというのは嘘ではないかと。見かけ上は壁だけれど、壁だといっている人は元々権利を持っているけれどいい加減なネット配信には許諾したくないという人がほとんどであって、制度がネックというのではないのではないかと。制度も一部分ネックではあるけれどもそれは解決すればいいのであって、この秋口には一応の目処が出るでしょうから、この問題はあまり壁ではないのではないかという思いにいたり、思い至ったけれど書くことは書かなければならないので、書きましたというのが私の部分なんですね。
その過程で、さっきの池田さんの話と同じちょっとショッキングなことがあって、座談会でも紹介していますけれど、今をときめく梅田望夫さんと一度対談をしたことがあって、うちの大学院で哲学者の加藤先生をお呼びしてですね、情報社会の倫理と哲学という大シンポジウムをやろうと思って、これを加藤先生と世代の違う人とかけ合わせると面白いかなということで、梅田さんにメールを送ったんですね。そうしたら、2時間もしないうちにその時には日本にいないからお断りしますという、非常に丁寧だけれど断固拒絶という返事を頂いたんですね。
それでこれはどうしたことかと、実はそれから本を読むようになりまして、前後逆なんですけど、読んでみたら後ろの方で「Web1.0の人とは付き合っても無駄だから付き合わないようにしている」と書いてあって、あそうか、私は排除されたのかと思ったわけですね。別に梅田さんに悪い印象はないんですが、なるほどそうか、そうかも知れないなと。私が法律に逃げ込んだのも、どうも2.0にはついて行けないと前から予感していたからこうなったのかな、と思うんですけれど、さてその目でこの本を読み直してみると、通信と放送という軸自体が動いているような気がして、これはしようがない、この次の世代に任せようと。

池田:みなさん営業的によくないことばかりいってますが、冗談ですからね(笑)。いま話題になったYouTubeが昨日、ついに著作権法違反で訴えられましたが、林さんの目からご覧になって、YouTubeが負ける可能性は高いでしょうか?

林:高いと思いますね。前のP2Pの時も池田さんと議論したことがあって、そんなの良いじゃないかと池田さんはいっていたと思うのだけれど、僕は裁判所に行ったらそれはダメじゃないかと。だから法律というのは保守的なものであって、それも社会の役割を一部を担っているわけですから、そこは格調高くしておいた方が良いんではないかと思います。

原:私はジャーナリストを37年間やってきて、その後半20年ずっと情報通信の業界を担当してきました。この本の中ではどちらかというと旧態依然たる既得権者側のメディアを擁護する話をたくさん書いております。なぜかというと、私が長い間メディア業界にいたという経験に基づくことしか書けないし、彼らの論理は私なりにいろいろと理解できたし、彼らの持っている力、私がこの本の中で見えざるメディアコングロマリットと名付けましたけれど、彼らの持っている日本社会における影響力は馬鹿にできませんよということです。
いくらホリエモンや三木谷さんがM&Aといったところでそう簡単にひっくり返るようなものではありません。だからといって、彼らがこのままで良いのかという事に関しては、僕も危機感を持っていますし、日本のメディアだけでなく世界のメディアも非常に危機感を持っています。それなりの研究とか調査とか実験をやっています。それが未だ目に見えてこないだけで、いずれ技術が進歩すれば彼らはそれを手にしてメディアとして君臨していくんだろうと。メディアの歴史をこの本の中でも書きましたが、メディアというのは常に移行していくものであって、インターネットと既存のテレビや新聞はいつまでも対立していくものかというと必ずしもそうではなくて、僕は必ずどこかで融合していくと思います。

西:私の部分だけページ数が少ないんですけど、これは別に私が少ない原稿しか書かなかったのではなくて、一番最後に原稿を出したので、ページ数が増えると採算が合わなくなるので写真とイラストは削除しますということで・・・。著作料は頭割りだから良いんですけど・・・。でも、だいぶカットをされて悲しい思いをしました。
一番最初に僕がいったのは、通信と放送の融合という言葉の定義がおかしいというか、テレビと電話が融合みたいなありえない話をここで議論しているようで、通信と放送の融合というのはつまり、インターネットと放送の融合ということで考えなければならないのではないかということです。
そのとき、他のメディアにおいてメディアの置き換えは新しい価値観でのみ実現してきたわけで、例えばアナログ電話の置き換えがNTTがISDNとかいろいろやりましたけど、アナログの電話が何に置き換わったかというと、携帯電話だったわけです。ようするに、アナログの電話をデジタルの電話に置き換えるという発想は間違っていて、有線電話が無線電話になったという、無線電話という新しい価値観を提供するということを実現するための手段がデジタル化であったということだと思います。
ですから、テレビの未来に何があるのかということについては、テレビの未来にどういう新しい価値観を提供するか、つまり、いま薄いテレビやHDDレコーダーなどが売れていますけど、テレビに関する未来は何かということを我々は探していて、それを実現するための手段として、インターネットは何が出来るのか、デジタル放送は何が出来るのかが問われていると思いました。
次に、新しい価値観はなんなのかということなんですが、それはHDDレコーダーが出来て我々が何を経験したかというと、NHKの7時のニュースを最初から見られるようになったわけです。皆さん経験ありますか?いままでニュースって7時のニュースを7時8分とか9分から観始めて、ニュースのオープニングの音楽なんて聴いたことがなかった。ところがHDDレコーダーのおかげでいつも最初にあの音楽を聴かされるわけです。それで、7時のニュースを7時に見なくても、自分の好きな時間に7時のニュースを見られるわけです。携帯電話が空間の縛りから人々を自由にして、HDDレコーダーはテレビを時間の縛りから人々を自由にするという新しい価値観をもたらしたんだと思います。
しかし、今のHDDレコーダーが素晴らしい製品かといったら、いま家にHDDレコーダーが5台ありますけど、そのうち2台は潰れててね、ようするにHDDが潰れるわけです。それからHDDレコーダーに録画していなかった番組が見たい。SONYの「VAIO X」という全チャンネル録画できるやつがあるんですが、私はそれを買いに行こうと思ってビックカメラに行って、HDDレコーダーの金額を見て、薄型テレビを買ったんです。つまり高い。
この問題を全部解決するのが、HDDレコーダーを家庭におかずにネットワークがHDDレコーダーの機能を持って提供する。もう少し具体的な製品のイメージとしては、昔のテレビと今のテレビの大きな違いは、今のテレビは番組表が出てくるんですね。昔はどうだったかというと、新聞が番組表だった。新聞が番組表として弱くなっていくのは、番組表としてだけではなくて、夜のニュースはテレビで見るしか出来なくなる。
番組表を見ていて皆さんお気づきと思いますけれど、今の番組は番組表に載っていますけど、2時間前3時間前の番組表は削除されていて載っていないんですよ。僕はいつも、昨日の番組表、一昨日の番組表の見たい番組にカーソルを合わせてボタンを押せばその番組が見られれば良いのにと思っている。恐らくそれは、HDDがなければネットを通して見ていく。つまりアーカイブをネットを通してビデオオンデマンドで見る。ユーザーにとっては放送中の番組を見るのかアーカイブを見るのか意識せずに見ることができる。そういう商品が出たときに、放送とインターネットは融合していくんじゃないかと思っています。

山田:さっき林さんとのお話のときに、NapsterとYouTubeの訴訟の類似性の話をされていたと思うんですね。それでNapsterをレコード会社が訴訟を起こして差し止めた時にアップルはビジネスチャンスに気付いたわけですね。同じように、YouTubeに関してもビジネスチャンスに気付いたところが勝ちだと思うんです。

林:いま山田さんのいわんとしていることを私なりに解釈して話すならば、法的に権利のある人が訴訟などを起こして差し止めを起こすのはいいでしょうと。それは法的なディメンションです。だけれど、そのビジネスを他の人が「あぁ、こうやったら儲かるな」と合法的な方法でやってしまうと、今までの既存のビジネスモデルの人はひょっとしたら負けるかもしれません。だから、リーガルの話とこういう経営の話が必ずしも一致しない。そういう例をいっているのではないかと思います。
だからiPodとかああいうものは合法化しながら新しいビジネスモデルを作ったと。そっちの方が大事ではないかということですよね。私はそれはその通りだと思ってます。だから法律的なことというのはある程度の知識は持っていてプロテクションをかけた方がいいんだけれど、既存のことだけ考えていれば必ずしも儲かるというわけではない。そういうことじゃないでしょうかね。
池田:既得権を持っている人達もそれほど馬鹿ではなくて、2度3度同じことがあると、ある程度は学習していると思うんですね。たとえばNapsterの場合は、レコード業界が訴えて潰しちゃったけれど、結果的にはiTunesが出てきて、CDは売れなくなってしまった。今度のYouTubeはどうかというと、Napsterと違うのは、ハリウッドもテレビ局も訴訟を起こしてないんですね。逆にMTVやNBCなどは、プロモーションビデオをYouTubeに提供するという形で利用するようになっています。
というのはおそらく、P2Pが出てきた後の状況を見ていると、どうせ潰したって同じようなビジネスが他から出てくるわけだから、自分たちの利益になるように使ったらいいんだというように、既得権を持っている人も賢くなってきたんだと思うんですよ。そうなってくれれば、無駄な争いなしで新しいビジネスが立ち上がってくると思っているんですけどね。

原:全くその通りで、既存メディアの側からすると、今のところ新しいビジネスモデルが思いつかない。例えば新聞社はWebに新聞記事を流していたり、データベースサービスを有料でやっているけれども全然利用してもらえない。赤字ばかり作っている。黒字は携帯向けの記事配信サービスだけ。そういう新しいビジネスモデルはまだ思いつかないという段階に過ぎない。

Q:YouTubeの話で、新しいビジネスモデルを考えるのは難しいという話なんですけれども、YouTubeがこのままお金を回収できるモデルに進むとしたら、どういう形が想定できると思われますか。

池田:YouTubeが今やっているのは、GoogleのAdSenseを貼り付けたり、Amazonのアフィリエイトをやり始めたりしている程度です。こういうビジネスでむずかしいのは、著作権法違反で訴えられているサイトに、大手企業というのは広告を出しませんよね。この点も、NBCとかAmazonとか堅気の会社が、日本でいえば2ちゃんねるのようなところを認知し始めたというところは、変化の前兆なのかなという気もします。

依田(洋泉社):ドッグイヤーということで、この本の記事を書いていた時期と今とでは状況が変わっているとおっしゃっていましたが、もし続編を出すとすればどんな本になるでしょうか?

池田:YouTubeがどうなるかを見極めないと、映像ビジネスの今後の方向は見えないという気がします。きのうYouTubeのアクセスで全世界ナンバーワンだったのが、極楽とんぼの加藤がワイドショーで、相棒がクビになったとかコンビは解散だとかボロボロ泣いて、3分間ずっと泣いているっていうクリップです。こんなの海外の人間が見てもなんだかわからないと思いますが、この映像に120万アクセスが集まるという、国境も超えた状況になっているわけです。しかもYouTubeのユーザーで、日本人が一番滞在時間が長いんだそうです。日本人ってああいう映像の世界が好きなんじゃないかな。

原:今日もNTT社員と話をしていたら、「原さん、GyaO観ますか?」というので、「最初契約したときだけだよ、観たのは。お前はどうだ?」といったら、「私も全然見ません」といっていた。ようするに、もうテレビの画面からみんな離れているんです。活字離れ新聞離れなんていう話は古い話であって、実は今、テレビ離れが起こっているんじゃないでしょうか。

西:それはね、HDDレコーダーが家にない人です。僕なんか「テレビを見ない」といっていたのに、HDDレコーダーを買ったらテレビを見る時間がどんどんどんどん増えて、毎日毎日見ないとすぐにHDDがパンクするから、家に帰ったら夜の11時くらいから夜中の1時、2時、3時位まで、録画したものを全部見ないと寝れないようになりました。それでどうなるかというと、出張先でHDDレコーダーがないと寂しいんです。それでYouTubeを観るという・・・。でも、YouTubeに記録されているものは他の人が録画したもので、テレビはほとんどないですよね。

池田:通信と放送の本題の方に話を戻すと、今のテキストベースのWebが過渡的な段階であるという認識は、われわれも梅田望夫さんの『ウェブ進化論』も同じだと思うんですが、われわれはWebの次には映像を送るものが出てくると、世の中の人が常識的に考えるような発展のコースを考えてきたわけです。ところが梅田さんの本には、ブロードバンドも通信と放送の融合も出てこない。あの本で一番大事なのは、あそこに何が書いていないかということだと思うんです。

林:ちょっと私たちの本の宣伝をしますけれど、私は「ネットワーキングの経済学」という本を1989年に書いたんですね。幸いにしてその改訂版を8年後の1997年に出して、それでもうこれで絶版にしようと思っていたんです。というのも、そのテーマで早稲田で講義させていただいていたんですが、歳になったので辞めようと。そうしたら富士通総研の湯川君という人が、新しいネットワーク分析で博士号をとったので一緒に出したいということで、今度これを出すんです。
『進化するネットワーキング』という本になる予定ですけれど、8年刻みか9年刻みで第3版が出るという非常に幸せな男なんですけれど、いいたいのはそっちじゃなくて、その17年間のネットワークの変化というのは凄いものがある。しかし、それにもかかわらずこの本が生き延びたということは、変わる部分と変わらない部分があったんでしょう。
僕などは変わる部分についての予言の能力はないんですけれど、変わらない部分に関しては予知能力があるようなんですね。放送と通信の融合なんて私が84年にいった時だって、誰もそんなことをおっしゃっていなかったわけで、なんかちょっと頭が変だとみんなにいわれたわけですね。特に放送業界の方にいわれたわけですが。それでそこに書いてあるかなりの部分は当たっていたから、今度の本でも半分は私が書けるわけですね。
けれど残りの半分は私は全然書けないから、若い人に任せていて、そこが実はWeb2.0のようなんですね。そうすると、どうもこの17年の間にドッグイヤーといっても実は進むところと進まないところがあって、ヒューマンインターフェイスのようなところは実はあまり進まないんじゃないか。そして法律との接点のあるところはあまり進まないんじゃないだろうか。そうすると、先ほどの変数と定数の考え方でいうと、私が定数だと思っていたものがだんだんと変数になってきて、なお定数であるところは定数としてあるわけですね。年寄りはどうもそこに接しないと太刀打ちできないのではないかと。

河口(ドキュメンタリージャパン):いま僕が一番興味を持っているのは、金子勇さん(Winnyの開発者)のやっているドリームボートです。これは誰もが映像を配信できて、課金ができるようなものを開発中で、それを楽しみにしているんですけれど、そうすると僕らのような独立系のプロダクションが世界を相手に商売ができるかなぁと。
例えばGyaOに営業に行って一緒にやりましょうといっても、結局GyaOが目指しているのはテレビ局です。しかし、ドリームボートのシステムができれば、そうした技術が安く手に入って、独自に配信ができるように準備はしているんですが、例えば100万円くらい準備すればそうしたことはできてしまうので、そういうことをやろうかな、と思っているところです。

池田:ちょうど今日GyaOの幹部に話を聞いたんですが、河口さんのおっしゃる通り、USENはテレビになりたいんですね。広告も電通経由です。驚いたのは、広告の一人当たりの単価が、普通のWebはテレビの100分の1だというんです。実は、これは日本だけの現象ではなくて、ニューヨークタイムズの印刷版とWeb版の広告単価を比べると、Web版が印刷版の3分の1だそうです。
他方、先月来ていただいたGoogleの村上さんのお話では、GoogleのAdSenseの広告単価は雑誌の2.5倍だという。それが当たり前ですよね。クリックするときにはお客さんはもう買う気になっているんだから、ただ雑誌をパラパラめくっている人に比べてはるかに買う確率が高いはずであって、それが100分の1だというのは広告代理店とか既存メディアの感覚が、Webの世界と2桁くらいずれていると思うんですね。

林:今のお話面白いんですけれど、私がずっと疑問に思っているのは、申し訳ないんですけれどそういう独立自営スタートアップの会社っていうのは、ロングテールでいうところのズーッと尻尾の方ですよね。そういう方にもネットで同等に勝負することができるオプチュニティが出てきたっていうのは非常に良い事だと思うんだけれども、それでは片一方ではテールのもう片方の方を物凄く活かしてくれる人は誰かというと、それはGoogleであったりMicrosoftであったり、それがまたウィナー・テーク・オールみたいになっているでしょ?そうすると、ウィナーとくっつかないとスタートアップはできないのかなと。独自にスタートアップする方法はないのかと私の頭の中でぐるぐる回っているんですけれど、なにかサジェスチョンいただけないでしょうか。

河口:そこは先月Googleの話を聞いて、どこに僕らの進むべきものがあるのかなぁと考えているところです。

原:プロダクションの人間を何人か知っているんですけど、彼らはやっぱりテレビ局に首根っこを押さえられているし、「できれば独立してコンテンツをインターネットで流したいんです、何とかしてください!といわれたことが何回か有ります。NTTに行って「blogで映像配信がなんとかできないか」といったら、アクセス網の回線単価が高すぎてやっぱりダメですといわれた。映像コンテンツを配信するのは簡単です、しかし、それを万人に見てもらうためのアクセス回線が滅茶苦茶高い。既存のテレビに比べたら安いですけれど、それでもまだロングテールの部分が映像ビジネスとして独立していくにはまだまだ敷居が高いところがあります。

池田:いま、アクセス網の話が出てきましたけれど、アクセス料金でいうと日本はDSLが安いですから、光も安くなって、NTTもコスト割れくらいの料金で提供している。だからインフラというのはそんなにボトルネックではなくて、問題はその先でしょう。では、その先に何があるかというときに、先ほど林さんがおっしゃった著作権の問題があります。しかし、著作権の問題がクリアされればコンテンツが次々と出てくるのかといえば、そうは行かない。いくら合法でも、権利者がいやだといえばおしまいです。
逆に違法の疑いがあっても、権利者にメリットがあればコンテンツは出てくる。YouTubeにNBCがビデオを提供するのは、彼らにメリットがあれば、それを潰すよりも利用しようということになるわけでしょう。だから、文化庁が著作権法を改正してIPマルチキャストで地上波の再送信を合法化しましょうというのはいいんだけれど、たぶん最大のボトルネックはそこじゃないと思うんですよ。
それはGoogleを見てもわかります。あのキャッシュというのは、彼らのデータセンターに世界中のWebページが無断で複製されているわけだから、誰かが訴えればGoogleを閉鎖に追い込めるかもしれないが、誰もそんなことはしない。そんなことをしても誰の得にもならないからです。つまり、著作権という言い訳を与えないくらい、誰もがそれによって明らかに得をするスキームを作れば、それによってややこしい法律の問題は、少なくとも迂回できるということをGoogleは示していると思うんですね。

山田:私がいいたかったのは、技術の初期に例えばこのSkypeのようなものを批判するのは簡単なんですけど、そんなものは技術が進歩すれば不具合は解決するから、どう利用するか、どういうところにユーザーのニーズがあるのかを考える方がずっと大事ですよということをいいたかっただけです。

西:僕は技術の進歩に対して反対するものではないんだけれど、もっと大切なことがあって、それはほとんど全てのユーザーがそうだと認めるキラーアプリケーション、キラーアプリケーションといういい方は好きじゃないんだけれど、そういう新しい付加価値の創造だと思うんです。
アナログ電話のネットワークの次にINS、ISDNが実現したことで、人はそれを使ったし、インターネットのアクセスラインとして使ってきたけれど、ISDNのピンポン伝送というのは技術的には128kbpsしか出なかったけれど、同じような技術でVDSLが出てきて軽く1M、2M出るようになって、それはそれで技術としては素晴らしかった。だけれど、電話の未来は有線ではなかったわけです。電話の未来は無線だった。
ソフトバンクの孫さんがYahoo!BBのオンデマンドの受信機が6000円くらいになったから配ってもいいんだと、全加入者に配ってBBTVを見てもらえばいいんだといっていた。僕は思うんだけれど、BBTVの受信機をタダで配ってもそれを使わない人もいるわけですよね。でも、電話はどうだ。電話は万人が使っている。
テレビはどうだ。ほとんど万人が見ているわけです。だから、テレビの次の普遍的な価値は何かというところをみんな探していて、それがオンデマンドテレビなのかというと、オンデマンドで新しいコンテンツより、今放送されているコンテンツをタイムシフトで提供するための枠組みなのではないかなぁという感じがする。
みんなが一番嫌なのはインターネットの上でテレビを見ることだと思うんですね。大きな理由のひとつは全ての人が何を見ているかというのをリアルタイムで監視できた瞬間に、今の広告代理店のスキームというのは崩れるんです。あんなにたくさんのお金を取っているのにそれが潰れちゃう。それがどういう事かというと、広告代理店が潰れるだけではなくてテレビ局の売り上げも破綻するわけですよ。でもそれは時間の問題で実現すると思うんですね。だからそのオンデマンドの受信機が家庭にタイムシフトのプラットフォームとして少しずつ入っていきながら、ある日突然タイムシフトのプラットフォームとしてだけではなくて、リアルタイムで放送されている放送のプラットフォームとして動きますとなったときに、インターネットと放送の融合ではなくて、インターネットが放送を吸い込む日が来るのではないかと思います。
昔、インターネットが出てきたとき、NTTに「ISDNのDパケットの上で電話が動くかもしれませんよ。Dパケットで通話を送受信すれば、ISDN電話は全て市内通話になって、ひょっとしたら世界中が市内通話になってすごいことになりますよ。」といったんです。すると僕がNTTになんていわれたかというと、「今の西さんの発言は大変危険だから、議事録から削除するように。」と言われた。僕にこれを言った人は後でNTTコミュニケーションの社長になったんですね。そして、「そんな危険なことをいったら、もう二度とNTTの研究会に呼ばれませんよ。」といわれた。
でも僕は「それでいいじゃないか」と思っていて、「1ユーザーあたりの平均売り上げの値段を基本料金に設定して、電話かけ放題、インターネット使い放題にすればいい。」って僕はいったんです。そうしたらほら、20年後にIP電話がアナログ電話を取りに行っちゃったじゃないですか。まだ携帯電話は使い放題になっていないですね。だから僕は次にワイヤレスのIPの携帯電話が出てきて、携帯電話が定額になる日が来ると思うんです。

池田:今日なんでSkypeをつないでいるかというと、ひとつはこのくらい実用性に欠けるおもちゃであるということですが、しかし「おもちゃだ」といわれることはだいたい良い兆候なんですね。ウェブがモザイクと共に出てきたときも、「こんなのおもちゃだ」とか「遅くて使えない」とか「リライアビリティがない」とかいわれましたが、そういう場合はものになることが多い。さっき山田さんの話に出てきたクリステンセンの「破壊的技術」ですね。

西:僕が覚えてるのは、当時GLOCOMで、僕が10人くらいにMosaicをデモしたけれど、みんな腰を抜かしてた。「こんなことができるんですか!?」って。それで日立の人、NECの人、富士通の人に僕が始めて説明したときに、「Mosaicって見たことありますか?」って聞くんだけれど、みんな正直に見たことないとはいわないんです。でも、見たときにはみんな驚愕していました。ほとんどの人が驚愕したと思う。Mosaicのことを「NO」といった人は僕の記憶にはないんだけど・・。

池田:7、8年前に、僕が「これからはウェブがプラットフォームになる」といったら、通信のプロに怒られて「HTTPなんて効率の悪いプロトコルはだめだ」といわれましたよ。今回のSkypeの場合も、歴史は繰り返す可能性が高い。今はこんなにお粗末なものだけれど、あと1、2年もすればかなりのクオリティで全世界のどこでもタダでかけられる電話ができちゃうだろう。そうすると、次は携帯電話にSkypeが入って、無線LANで世界中どこにかけても携帯電話がタダだっていう世界が、あと5年もしたら来ている可能性がある。

西:それだけじゃなくてね、ネットさえ繋がっていれば世界中どこにかけてもタダ、世界中どこにいてもかかってくるという、それがすごいと思う。最初からインターネットに繋ぐだけで国際ローミングが自動的にできちゃう。これがすごい。
Webが1.0から2.0に、2.0から3.0に上がっていくのに、Webってなんなのかとかんがえてみました。サーバーに置かれているイメージをブラウザで見るのがWebなのかというところだと思います。昔はWebというと「くもの巣」というイメージだったけれど、インターネットのコネクションされたものがWebと考えると、HTML Viewer+Java Pluginみたいに考えていたのがWeb1.0の世界。
Skypeのクライアントソフトって30数MBあるんですね、それからiTunesが24MB、Google Earthが14MB。物凄い大きなソフトウェアがあって、SkypeにしてもGoogle EarthにしてもiTunesにしてもインターネットブラウザじゃないんですね。クライアントのソフトではあるんだけれど、ヘビークライアントソフトなわけですよね。ブラウザじゃない。それとネットワークの上にある非常に大きなデータベース、iTunesのデータベースのサイズなんて聞くのも怖い、Googleのキャッシングされたデータサイズなんて聞くのも怖い、Skypeのバックグラウンドのパケット交換のシステムだとおもうんですね。
かなり大きなデータベースと、シンクライアント(thin client)じゃなくて、ヘビークライアント(Heavy client)がIPで繋がっているのが、僕はWeb2.0じゃないかなと思います。それで、そのクライアントの一部がたまたまインターネットの一プログラムで、HTTPプロトコルがどこでも届くプレゼンテーションレイヤーのプロトコルとして使われている、そんなイメージです。

林:いや、わからないんですけど、私も西さんみたいに思っていたんだけれど、梅田さんの本を見るとネットワークのあっち側とこっち側という、まさに僕のように棺桶のことを考えている人間にはリアルな表現で。たしかに、ソフトウェアのボリュームなどでいうとシックなプログラムが入るんだけれど、このソフトウェアはセンターでがっちりと制御されていて、ひとつとして自分で改造できたりそういうことはない。そういう意味でいうと、シンクライアントと全く同じことで、かつての中央制御型コンピュータとは、形は違うんだけれどなんとなく先祖がえりのような気がしてならないんですね。

西:それはそういう感じもするんだけれど、地球がどんどん大きくなっていってシカゴの公園で寝ている人の顔が見えちゃうという「Power of Ten」という本があって、僕がその本を読んだときに「これがコンピュータで実現したらすごいな。」と思っていたんだけれど、そういうソフトはブラウザで実現することはできなかったんです。ブラウザのHTMLを考えて、Java Scriptを考えて、Plug-Inを考えて、あらゆることをしてもあれだけ拡大縮小ができるサービスソフトを作るのは、僕はプログラムの専門家じゃないけれど、まったく考えられなかった。
ところがGoogle Earthのクライアントはブラウザが不可能だと思っていた、グーッと回したり、ことを意図も簡単に実現してしまったわけです。その意味で、シンクライアントの次のヘビークライアントというのは、違う次元のサービスをやっていると思う。ブラウザで電話をやろうとは誰も思わなかったわけです。

池田:今のシンクライアントという話は、僕も同じ感想を持っています。世の中の人が思いもよらない方向にベクトルが変わっていく兆候というのがあって、先ほども申し上げたとおり「おもちゃだ」というのがその兆候のひとつです。もうひとつ「それ前に見たよ」とか「それ知ってるよ」というのがあります。
例えば今、GoogleがオフィスソフトをGoogleのサイトでやっていますが、あれ見たことありませんか? 5年ぐらい前にサン・マイクロシステムズがスターオフィスという会社を買収して、サンのサーバでオンラインのスプレッドシートのようなことをやった。それはいわゆるシンクライアントの発想で、あの時はオラクルも「これからはPCにHDDはいらないんだ」といって、サーバ側にコンテンツもプログラムも全部置いて、クライアント側はディスクを持たないというのをやろうとしたわけです。それはプロジェクトとしては失敗したが、今また脚光を浴びている。
だから、もうそれは一回失敗したからダメだよというところに「2度目の正直」があるというのが、この世界の恐ろしさなんですよ。コストが、ムーアの法則で3年で1/4というスピードで下がりますから、3年前に赤字だったプロジェクトが今年は黒字になるということは、十分ありうるわけです。Googleだって、検索エンジン自体は昔からあったわけだし、検索広告もOvertureが最初です。だから、この業界では、技術とビジネスモデルと、もうひとつタイミングが重要なんですね。

林:池田さんに煽られて、地上デジタルを見直せという政策提言にサインしたら、私の身にも変化がおきまして、私、今でも人事院の公務員研修の教員候補者になっているんですが、あの提言にサインをしてから一度も招聘がないんですね。ただ向こうも然るもので、毎月の定期刊行物だけは送られてくる。池田さんのほうはその定期刊行物も来ないみたいですが・・・。私も政府の委員を辞めるにはこういう方法があったんだと物凄くいいことを発見したんですけど。
まぁそれはそれとして、今の理論で一番大事なのは計画経済的に政府がいろいろやりたいというのはあると思いますし、市場が万能ではないからそういうことがあっても良いとは思いますけれど、今の地上波デジタルテレビや、もっといえば住基ネットとか、それからどうしてあんなことを考えたのかパスポートを電子申請したいとか、費用対効果からしてあまりにも納税者を馬鹿にしているものがあるじゃないですか。ああいったものも「学習したからいいんだ」と開き直るのも、どこかの基準で止めたほうがいいんじゃないかと思いますね。

池田:でも、まだ学習していない人達もいますね。経済産業省が「情報大航海プロジェクト」と称して、Googleに対抗して検索エンジンを官民一体で作りましょうという、悪い冗談みたいなプロジェクトに、国家予算が300億円も計上されるそうです。

山田:Googleの最大の欠点はなんだと思いますか?僕はテキストしか検索できないことだと思うんです。テキストだから情報がいろいろと引き出せるんですけど、例えばYouTubeに載っている多様な映像から自分の見たい映像を選ぶときに、あの検索エンジンは使えないんですよ。だから、経済産業省が開発をするなら、そういうのを開発すればいいんです。検索して自分の見たい映像を検索するエンジン、そういうのだったらいいと思うんだけれど、テキスト検索エンジンをいまさら開発したって仕方がないと思うんですけど、ですけど、YouTubeのところにどういうニーズがあるかということを考えれば、そういう研究計画というのは簡単に出てくると思うんですけど、そういうことを考えるべきだと思いますよ。

池田:いや、情報大航海プロジェクトというのは、まさにそれをやろうとしているんですよ。Googleはテキストベースの検索しかやってないから、映像とか音声を検索するシステムを開発しましょうというのが売り物なんです。どこの国でも官僚の考えることは同じとみえて、ヨーロッパでもQuaeroという、EU全体で17億ユーロ(2500億円)と、経産省より一桁多い国家予算がついて、「マルチメディア検索エンジン」を開発するプロジェクトがあります。どこの国でも、官僚は同じことを考えるんだなぁと思いますが、こういうのは負け組になる兆候ですね。

西:僕はね、GoogleでAIDS/HIVの検索をしたことがあるんです。日本語でAIDS/HIVの検索をすると、約20万ヒットくらいになる。英語でAIDS/HIVを検索をすると、20万じゃなくて200万じゃなくて、2000万のヒットがあるんです。つまりどういう事かといったら、ヒットを知識とするのは安直かもしれないけれど、結局英語を読めない人はAIDSのことは全部わからない。日本語であれば20万、スワヒリ語はやったことがないのでわからないけれど、ヒット数はそんなに多くないと思うんです。つまり、言葉によって知識の不均衡のようなものが起こっている。これを是正しなければならないんじゃないかと思います。Googleの翻訳できますっていうボタンがついているけれど、あれは実際、使い物にならない。だから、検索エンジンの開発にこれからお金を使うんであれば、言葉による知識の不均衡を是正するような翻訳も入ったサービスを展開するのがいいんじゃないかなと僕は思うんです。

池田:GoogleもYouTubeも、映像検索はお粗末です。これは、実際にはその映像についているメタデータ(映像の属性を記述したデータ)を検索しているだけだからです。そのメタデータをどういうフォーマットで書くかというのが、いまW3C(WWWコンソーシャム)で議論されています。今までWebは、人間が検索結果を解釈して、その中から目的とするコンテンツを探さなければいけなかったけれど、これからはコンテンツが意味(メタデータ)をもって、それを機械が解釈する、というのがTim Berners-Lee(WWWの生みの親)の提唱した”Semantic Web”の発想です。これは昔、失敗した人工知能が新たな形で出てきているわけです。つまり機械が知能を持つためには、機械の知覚する対象が意味を持っていることが必要なんです。
だから今、一番重要なことは、対象となるメタデータがどういうフォーマットになっているかということで、Googleが一番関心を持っているのはその部分です。先日、人工知能学会で、GoogleのディレクターがBerners-Leeに、W3Cはもっとしっかりしてくれといったそうです。今メタデータは滅茶苦茶で、WebマスターのほとんどはHTMLも書けないので、もっと簡単にメタデータを生成できるような仕組みをW3Cが作れと。

山田:メタデータはテキスト検索と同じで、結局メタデータを誰かがつけなきゃいけないですよね。いまは人間がそれをつけているわけですよ。だからそこを何とかする仕組みを考えなきゃいけなくて、それは非常に難しいかもしれないし失敗する可能性もあるかもしれないけれど、ビジネスとしてチャレンジしてみれば良いんじゃないですか。

Q:今、テレビの放送にメタデータが入っているわけじゃないですか。しかも誰が作ったかとか、スポンサーはどことか、全部入っているわけですよね。なので、メタデータで検索というのは今のテレビのコンテンツにもメタデータが入っているので、一番検索がしやすいということがあると思うんですが。

池田:メタデータについても、日本のサーバー型放送では、メタデータの標準フォームを政府が決めて、各社でそれをハードウェアに埋め込んで、抜き差しするメディアはSDカードだけという奇妙な規格が今、進行していますけれど、そういうアプローチはダメだと思うんですよ。むしろGoogleのいうように、HTMLも書けない人達がコンテンツを作るときに、難しいことを考えないで自動的にメタデータを生成するようなオーサリングツールを考えないと、政府が旗を振ったってメタデータは広がらない。

西:本のデータベースをどのように登録するかというのを、著者名と本の名前やその他のキーワードを入れるのですけど、そのときに全文検索を入れる必要があるっていっていたじゃないですか。で、全文検索して何かいいことがあったかといったら、全文検索をするとあまりに多くの本がヒットしてキリがなかったっていうことがありました。
HDDレコーダーとか見ていて、番組表に番組案内っていうのがあってそれを見ていると、1回しか録画しちゃいけないとか、誰が出演しているかというキーワードとか出てくる。NHKはしっかり書いてくれているけれど、民放の番組なんかは番組情報のところに・・・僕がいつもどういう風に番組情報を見ているかといったら、この美人の名前はなんなんだとか知りたくて見るんだけれど・・・ほとんど何も載っていなかったりするんです。これじゃあ、なんにも出来ませんね。
フランシス・コッポラという映画監督と10年以上も前に一緒に仕事をしたんだけれど、彼はフィルムじゃなくてHDTVで映画を撮って、電子的に編集をする装置が欲しいと言っていました。そのときにコッポラに聞いたんです。「あなたはどんなシステムが欲しいのか?」って。そうしたら、「映像を見ながら編集をするシステムはもう嫌だ。映像のコマに出演者のセリフが入っていて、セリフを台本を編集するようにワープロでカット、コピー、ペーストしたら映像が付いてくる。そういう映像編集装置が欲しい。」って彼がいったんです。それを僕に作ってくれるか?っていうんですね。
そのとき結構突っ込んだ話をして、「あなたの作っている映画というのは、映像が大切なのか、それとも言葉が大切なのか?」って聞いたら「言葉だ」って言ったんですよ。映画を作っている人が、映像ではなくて、映画のエッセンスというのは映像と連動して動く言葉が自分は大切だと思っていると言うのが、さっき山田さんがテキストサーチをしてメタデータを検索すれば良いといったけれど、映像と音声の連動したマテリアルの本質は、映像じゃなくて音声に込められた言葉なんじゃないかなと考えています。

池田:その通りだと思います。テレビの番組を編集するときも、一番大事なのは絵ではなく、言葉です。ドキュメンタリーでも、ディレクターの仕事で一番大事なのは、インタビューの言葉を編集することで、絵のつなぎは編集マンにまかせます。日本ではまず絵をつないで、つなぎ終わった映像にコメントを書いていくんですが、他の国の放送局は逆に、まず原稿を書いて、その原稿の秒数に合わせて映像をつないでいくんです。映像的には日本の方がきれいなんですが、情報量は欧米型の方が倍くらいあるので、日本のドキュメンタリーは、欧米で全然売れない。何がいいたいかというと、要するに映像を編集しているようでいて、実は言葉を編集してるんですよ。だから映像そのものを検索するなんていうプロジェクトは、税金をドブに捨てるようなものだと思います。

山田:僕は、障害者とか高齢者が情報通信サービスを利用できるために何ができるかということをやっていて、そんなの儲からないじゃないかという意見の人も居るんですけれど、今の話はとても関係があるんですね。例えばテレビは耳が聞こえる人だけじゃなくて障害者の人も映像データを楽しんでいる。だから検索も、字幕を頼りにしてできるわけです。実際にそういう障害者や高齢者が見ることを前提にしたWebサイトというのは、Googleに引っかかる確率が高いんですね。なぜならそういうメタデータが豊富に充実しているから。映像も同じように、字幕をつければメタデータとして使えて検索したときにヒットする確率が上がるわけですよ。ですから、障害者や高齢者のためにどういうことができるのかというのは、全く関係ないような話なんですけれど、実はこれからの重要なインターフェイスのひとつになると思うんですね。

林:僕が問題提起をしたのは、やはり霞ヶ関というのは相当精度の高い情報処理装置だと思うんですよ。日本で最もインテリジェンスの高い情報処理装置だと思うから、その人達があれだけのお金を使って何をやっているのかなと思うと、もっと別のことをやったほうが良いというものもたくさんあるかも知れないし、あの人達を民間に出した方がもっと良いものを作るんじゃないかと思っているものですから、もう私は歳をとったから池田さんのように喧嘩はしないんですけれど、喧嘩をしない代わりに非常に冷たく見ているんですね。
私自身その当時は官だった、で、官的な仕事というか公に対する奉仕の感覚というのは負けないくらいに持っていたと思うんですけれど、自分が民営化を経験した思ったのは、やはり市場原理のわからない官僚というのはこんなにたちの悪いのは居ないと。みんな気持ちはいいからなんとか民を助けようと思ってやっているには間違いないんでしょうけれど、時としてそれがマイナスになったり、例えば私の弟は潰れそうなベンチャーをやっていて、この近所でオフィスを構えていたんですけど、成り立たないんで東京のどこかのインキュベーションセンターに入ったんですけれど、なんとそこは夜8時以降は居ちゃいけないとか、土曜日曜は出てきちゃいけないとか、そういうんですよ。
なんだか急に民をインキュベートしろなんていわれたから制度が間に合わなくて、みんなが何とかしなければいけないと思っているらしいので、あまり批判してもいけないと思うんだけれど、インキュベートするなら何が常識かを直感的にわかるっていうのが大事だと思うんですね。そうすると、そういう目で見るとEガバメントっていったい何をやってきたのか、それからEガマネントの中にはEパーラメントもEコードも入っていないんですよね?3件のうち1件だけやってどうするんですか。他の2件もちゃんとやらなきゃいけないのに。

池田:僕は個人的にはGoogleのように文字をタイプして検索をするというインターフェイスがいつまで続くかなという感じもするんですね。さっきの山田さんの話とも近いのかもしれないんだけれど、タイプするということ自体、日本ではある一定の年代以上にはハードルが高いでしょうし、恐らくもっと直感的に入力できるインターフェイスが出てくるっていう方が、僕はむしろ次のWeb3.0があるとすれば・・・

西:音声じゃないかな。

原:でもそれ、昔から何度もいわれている。でもなかなか実現しない。ようやく携帯電話が音声で番号入力できるらしいけれど、でも、長野オリンピックのときにもうそれはあったんですよね。PHSで。

西:僕はね、パソコンと人間のインターフェイスは今のところキーボードなのかもしれないけれどね、音声もなかなかいいと思うんです。家に奥さんの居ない日ってあるじゃないですか。そうしたら、世の中にはこんなに難しい操作をしなければいけない機械がたくさんあることに気が付くんです。電子レンジ、自動乾燥機、エアコンとか。エアコンで湿度を取って何度にして、何分後に切るっていうの、本当にややこしいでしょ?そういう、今、マイクロコンピュータが入ったことによって凄く複雑化している家電機器が増えているんです。
自動炊飯器ね、あれ、ご飯を炊くのに失敗したらご飯を食べれないんですよ?僕、失敗したことあるから、「これの操作を失敗したらご飯が食べられない」とビクビク操作するからまた失敗するわけです。そういう一般的な家電のユーザーインターフェイスを考えたときに、やっぱり「ご飯炊いてくれ!」といえば「ハイわかりました!」ってやってくれる方がいい。ボタンがたくさん並んでいるより、マイクとスピーカーだけの炊飯器、そういうものが欲しいなといつも僕は思うんです。そう思いません?

林:ちょっと一般化すると、さっきの僕わからないんだけれど、ネットスケープから皆さん話を始めておられると思うんですが、わたし、ニューヨークに転勤したらGopherを使っているんですね。で、どこかからクリティカル・マスを突破するようにはなるんだけれど、それがそのユーザーインターフェイスというか人間の満足度というか使い易さみたいなもので、どの変を突破したらいいのかというのに関心があるんですけど。

池田:僕は同時代でWebの登場を経験したんですけれど、会社を辞めてSFC(慶応大学藤沢キャンパス)の大学院に入った年に、モザイクがSFCのサーバにインストールされたんですね。そのちょっと前に僕が見ていたインターネットっていうのは、さっきおっしゃったGopherとかFTPとかキャラクターベースのものだったんですよ。そのとき思ったのは、このインターネットっていうのはすごいメディアだけれども、こんなに難しいコマンドをタイプしているようでは、10年経っても世の中には普及しないだろうなと思っていたんですね。
そしたらモザイクが出てきて、あれには本当にびっくりしました。僕はいまだにあの時ほど0から1にジャンプするような感覚を経験していなくて、GoogleにしてもYouTubeにしても、1.0から2.0にジャンプするというほどの感じはないですね。多分、もっとすごいのがこれから出てくるんじゃないかなという気がしますけどね。Googleのタイプして検索するのって、昔のMS-DOSのコマンドラインと同じですものね。

Q:放送と通信の融合ということで、テレビ局と放送局が考えていたなあと思うのがサーバー型放送というのがひとつで、あの機械というのは一応通信機能が考えられていて、規格の策定については通信業界がやっていて、テレビ局もそういうことを考えていたと思うんですけれど、まだ実現がしていない状況だと思うんですけど、サーバー型放送へのコメントがあればお願いしたいんですが。

池田:面白いことに「サーバー型放送」をGoogleで検索すると、僕のBlogが4番目くらいに出てくるんですよ。サーバー型放送のオフィシャルサイトよりも上に僕のBlogが出てきて、そこに何が書いてあるかというと「これは、いま家庭にあるHDDレコーダーと何が違うのか」と書いてあるんです。唯一の違いは、メタデータが付いているというところだけです。そのメタデータを総務省の指導のもとにコンソーシアムで標準化して、それをハードウェアに入れて専用受信機を作りましょうという話になっているわけです。
これは失敗する典型的なパターンです。だって、今のHDDレコーダーでも、EPGで番組の選択も検索もできるわけでしょう。メタデータだって、総務省公認のデータを付ける義務なんてないんだから、それこそGoogleあたりがメタデータのオーサリングツールを作ってフリーで出せば、そっちがデファクト・スタンダードになってしまうんじゃないですか。

西:あの、EP放送ってありましたよね。EP放送がどうしてうまくいかなかったかというプロセスを検討したら面白いと思いますね。やっぱり放送局とメーカーとの配慮のし合い、遠慮のし合いみたいなところが凄くあって、発想はとても良かったのに失敗してしまった。やっぱり放送局の利益を最大にする、メーカーの利益を最大にするのかの前に、ユーザーが納得する正しい商品としての正しい絵を造ることから始めなければならないと思うんです。

池田:世の中、みんなの予想できない方向に行くことがあるんだということを、役所も大企業の方々ももうそろそろ学習した方がいいと思うんですよ。何度も失敗しているわけだから。先週BBCのトンプソン会長がNHKに来て、理事の前でスピーチして「BBCは、もはや放送局ではない」といったそうです。その経営理念は”Audience has a choice”、要するに、選ぶのはお客さんだと。Webで見てもいいし、テレビで見てもいいしCATVで見てもいい。どんなインフラで見るかはお客さんに任せて、BBCはいいコンテンツを作ることに専念してインフラは持たないというんですね。でもNHKの理事は、ポカーンとして質問も出なかったらしい。

Q:EPじゃないんですけれど、テレビ・ポータル・サービス社というのができて、テレビに各メーカーが経産省の指導の元試作をすることになるそうですが、そういうものも同じようになるということなんでしょうか。

西:テレビの最高のポータルは、新聞の番組表で、あのインターフェイスが今、電子番組表で作られているわけです。特許の関係が有るからそれを採用している会社としていない会社がありますけど、特に松下電器なんかは新聞の番組表を見るそのままをテレビのスクリーンに出して、そこから使ってくれということをやっている。それが一番大きなポータルなんじゃないかと僕は思うんです。だからポータルという考えは間違っていないと思うんだけれど、一番最初に表示されるのはホームページとかそういうものじゃないと思うんです。

Q:先ほどから、最終的には消費者というか、視聴者がインフラを選ぶ、計画経済のようなことはやらない方がいいという事をおっしゃっておられますけれども、確かに私もネットで映像を見るというのは楽しいと思うんですけれど、テレビで記者をやっていて情報通信のこともやっていたことがあるんですけれども、じゃあBSとかCSはどうなっていってしまうのかなと。そういうところに投資をしてきた部分というのは、じゃぁネットの方にどんどんと視聴者が増えていって、BSやCSの視聴者が減ってしまった場合、それまでの投資分というのはどうなっていってしまうのかなというのが気になるんですが、その辺はどうなっていくとお考えでしょうか。

池田:これまで投資したものをどうするかということに関しては、ビジネススクールの教科書の最初の方に、サンクコスト(埋没費用)は考えちゃいけないと書いてあります。失敗したプロジェクトは、忘れることです。日本のBSは、衛星一つで20チャンネルぐらいしか取れない。こんな効率の悪い衛星を飛ばしている国は他にありません。CSなら200チャンネル以上とれるし、世界的にはビジネスとして成り立っているのに、日本では大赤字です。テレビ局がCSを拒否して、地上デジタルに投資しているからです。地上波という既得権益(サンクコスト)を守るために、CSやIPのような新しいメディアが犠牲になっているわけです。

西:NHKにいた池田さんを前にいうのもなんだけど、BSのNHKに対する意義は、BSがあったからNHKは収入が増えるということを作り出して、NHKだけが政府の組織もどきであるにもかかわらず、売り上げが増えている優等生だということでリストラを逃れてきたということなのです。BSで新たに加入者を得て、売り上げが上がっているような感じにしたわけです。実はBS以外のテレビの視聴料自体が下がっていてね、今は払っていない人も増えてきたみたいだけれど、当時伸びているのはBSだけだったんです。BSが伸びているということで、NHKは急速なリストラを免れて、OB対策の子会社作りを静かにしてきたんです。だからBSというのはNHKに対して最高の功労者だと思います。BSで組織延命を図るという、素晴らしい経営の手法だと僕は思います。
民放にとってBSというのは、BSが出てくるまでは、アイデア的にも飽和したチャンネル編成であって、テレビのコンテンツの王様はハリウッドの映画だという感じがあったじゃないですか。ハリウッドの映画をいかに安く買って、コマーシャルをつけて放送してみたいなものでした。ところがBSが出てきて、みんなはたと考えたわけです。「どんな番組をつくろうか」って。
今のBSの番組で見てたら多いのがドキュメンタリーですね。BSができたおかげで良いドキュメンタリーの番組が沢山出てきたんじゃないかと思います。NHKのハイビジョンでね、もちろんハイビジョンの映画はやってるれど、NHKのBS-hiで「画の綺麗なドキュメンタリー」をしっかり作って流すようになって、民放各社もドキュメンタリーをしっかりやるようになった。やっぱり我々もちゃんと録画してしっかりと見るわけです。だから、日本のドキュメンタリー番組制作においてBSは大変意義があったと思います。これがNHKと民放のBSの意義だったと思うんですね。ただ最近、地上波デジタルやBS、CSとかどんどん増えてきて、ちょっとチャンネル数が多過ぎじゃないかという感じは否めませんけど・・・。

林:西さんの先ほどの発言は私には非常に目新しくて、でもやはりこれは経営しているわけですよね。そうすると、株主にどうやって責任を取るのかというのが原点じゃないんでしょうかね。だって株式会社で上場している会社だってあるわけですから。そんな赤字垂れ流しのセクションを持っていて良いんですか?というところなんじゃないですか?それだから村上ファンドとかいろいろなところが出てきても、テレビ局のほうを応援する人もいたかもしれないけれど、新しい血が入った方が面白いんじゃないかという考えがあったことと連動しているんじゃないかと思いますけれどね。
その最大のものが地上波のデジタル化の地方局なんだろうと僕は思っているので、そこはまず、経営判断して欲しいという風に私は思いますけれどね。そこで確かに、西さんがいうように日本の人は分かっていないというのはその通りなんだけれど、日本は資本主義国ですよね。それが分かっていないというのは困るんじゃないでしょうか。

西:僕が思ったのは、談合は何社くらいの規模まで存在するかということですね。NHKは談合しているわけじゃなくて、別格の存在として受信料をとっているけれど、それが法的に崩れていっていま未払いで失っている金額が5000億という話がある。それ以外の民放というのは何をしているかというと、ある種の談合をしていると思うんです。何を話し合っているかというと、2つある。
新しいサービスの進出を抜け駆けすることを許さないぞということ。昔、鹿内春雄がいた頃、彼が何でも新しいことをやって一番楽しいフジテレビをやっていたけれど、彼だから、あれが許されていたけれど、死んじゃって、最近は僕が民放のやっているアクションを見ていると、お互いに縛って新しいことは一緒にやるんだぞといっている感じがする。
もうひとつは、民放キー局は、広告の値段を視聴率と広告の値段を正比例の関係にして公定価格を作ってやっているのではないか。代理店が事務局かもしれない。その2つがあるから、彼らとしてはビジネスをロジカルにやっているように感じているだけなんです。

原:先月、ICPFで新聞業界の特殊指定問題をやったら参加者が極めて少なくて、Googleのときにはその何倍も来た。要するにそういうことなんですよ。テレビは新聞の系列でしょ?その親分のカルテル体質は一緒でしょ?

山田:僕は今日、ズーッと話を聞いていて、あぁ、世の中にはWeb0.0の人がいるんだと。0.0って、例えば今年の春のあたりにズーッとやっていた新聞の再販制度のどうのこうのなんて、もう誰も新聞なんて紙で配ってもらうのなんて減っていくのは目に見えているのに特殊指定を維持しようがしまいが、そういう人達が一番声が大きくて、1.0の人がじゃぁそろそろネットワークにテレビ放送を配信しようかと考えていて、2.0の人がYouTubeがどうのこうのって、凄くギャップがあって、その少なくとも0.0の人が黙ってくれないとダメだと思うんですよ。

池田:いろいろ問題発言もあったようですが、今日はどうもありがとうございました。