知的財産 著作者は著作権をどのように捉えているか

概要

デジタルコンテンツがインターネット上を豊富に流通し、通信と放送の融合が進められる今こそ、著作権の扱いについて、根本に戻って考え直す必要があるだろう。
この再考の過程では、著作物を創造するという重要な役割を担う、著作者が何をインセンティブとして創作に取り組んでいるかを知ることが不可欠である。そこで、今回は作家の三田誠広氏をお招きし、そのお考えを伺うことにした。

スピーカー:三田誠広(作家・日本文藝家協会副理事長・著作権問題を考える創作者団体協議会議長)
モデレーター:山田肇(ICPF事務局長・東洋大学教授) 日時:7月24日(火)18:30~20:30
場所:東洋大学・白山校舎・2号館16階スカイホール 東京都文京区白山5-28-20
入場料:2000円

レポート

ICPF第20回セミナー「著作者は著作権をどのように捉えているか」要旨
講師: 作家・三田誠広氏

1. 著作権はどのようにして生まれたのか

諸説あるが、18世紀頭、イギリスでアン王女が複製権は著作権者にある、といったのが始まりといわれる。それまでは原稿買取制だった。買取制は「よいものを書けば版元が高く買い取ってくれる仕組み」で、それなり合理的な制度だった。それをアン王女が「複製権は著作権者にある」と変えた。さらに、新聞連載後に書籍として出版する、貸し本業を営む、など書籍の利用形態が広がっていき、著作権の範囲が拡大していった。

2. 小説家とは何か

私がここで話すのは、川端康成、谷崎潤一郎などの芸術家、一行書くのも「てにをは」の一文字にも注意する。出版社の人々と議論を行い、誤植があってはいけないと神経を注ぎ、装丁家や挿絵画家とも協力して、総合芸術として著作物を作り出していく。それが小説家である。
小説家にとっての、著作のインセンティブは本が出ることであり、レスペクト(尊敬)されること。尊敬され続けるためには、著作物が流通し続けることが重要。そのためには、出版社が経済的利益を確保できるように、しなければならない。小説家は執筆までを担当し、その後のリスクは出版社が全部背負っているのだから。
小説家としては、同一性保持権が重要。自分の作品に無断で手が入り、変質していくのは許されないことだ。

3. 著作者の権利を制限すること

著作権には権利制限の規定がある。公共の利益を考えて合理的というのであれば、著作者の権利は制限される。入試問題への利用、教育での利用、障害者による利用。
このような権利制限は正しいことだ。日本文芸家協会としても、三田氏個人としても協力してきた。
デジタルコンテンツの流通を促進するために権利制限が必要だという主張も、考える価値があることだ。しかしそれはだれか(たとえば経団連)が勝手に決めるものではない。制作者と利用者が話し合い、折り合いを付けられるところを探すという、努力があってしかるべき。

4. 著作権管理団体の価値

小説家は、労働者ではなく著作物を創る業者。業者がカルテルを作るのは、独占禁止法上問題かもしれない。
しかし、それによって利用者は多くの利益を得ている。たとえば一括許諾、申し込んだら直ぐに許諾をだすように定められている。それによってトランザクションの手間が軽減される。
文藝家協会は利用料を安くしようと努めている。視覚障害者のための音訳図書(朗読図書)について、図書館が行うものについても、処理を簡略化した。音訳図書のネット配信も認めている。

5. 著作権保護期間の延長

ヨーロッパでEUが誕生したとき、お互いの国内法を調整しようとなった。それでヨーロッパは70年に合意した。それに続いて、アメリカをはじめ、アルゼンチン、エクアドルなどの南アメリカの国々がEUに合わせる形で延長した。
ベルヌ条約加盟国158カ国中、70年は69カ国だが、価値の高いコンテンツを生み出しているヨーロッパ、アメリカ、南米は70年。だから(三田氏の世界観・価値観では)世界標準は70年。
日本の川端康成や谷崎潤一郎だけが50年というのはおかしい。文芸家協会に登録している小説家で、年間100万円以上、印税収入があるのは100人以上、その半数はすでに亡くなっている。その中には後10年で、1000万円以上の収入が切れる人々もいる。
最初に言ったように、儲かるか、儲からないかの賭をしている出版社の期待に反するのも、間違ったことだ。

6. 著作権保護期間延長で困る事例への対応

明治時代のもうぼろぼろになった本をデジタル写真にとって複製する。そんなことができない。デジタルなのにネット配信できない。現状でも権利処理を行えば利用できるが、有名でない人々の権利処理はむずかしい(著者がいつ死んだかわからないし、遺族がどこにいるかもわからない)。権利者不明著作物をもっと自由に使える仕組みも必要である。
権利者不明著作物については裁定制度がある。著作者を探す相当の努力をした上で、供託金を支払うことで利用できる。しかしこれは大変な手間であり、私は裁定制度の簡略化を提案している。
これからの時代は利用を促進しなくてはならない。ハードルをなるべく低くしなくてはならない。
50年以内の作家でも全く流通していない、という場合、その本をデジタルアーカイブ化することはご遺族も喜ばれるだろう、青空文庫に公開するのを推奨する仕組みがあってもよい。
そうした意思表示のシステムを作って、利用を促進していくための仕組み作りを、著作者側が行ってもよいと思っている。17団体共同で共通データベースを作っているのもそれだ。ただ、全部の著作物を登録するというのは、手間もかかるし、ベルヌ条約脱退が前提となる。

質疑応答

質問:50年を70年にのばすのは印税などの金銭的インセンティブではなく、版元が本をし続けるのが重要だと言ったのか?
回答:自分が死んだらどうなるかはわからないから、金銭はインセンティブではない。
質問:「本になること」が重要か?「読まれること」が重要?
回答:「ネット公開をどう考えるか」にもつながる質問だと思う。私は古い作家なので、編集者と協力者し、一冊の本を作る、という総合芸術に参加していることが歓びである。

質問:今は死後50年が原則だが、創作したい人がたくさんいる、保護期間が50年でも創作のインセンティブがあるのに、伸ばすことがインセンティブになるか?今以上にインセンティブを増やす必要があるのか?
回答:リスペクトの問題だ。生きている間に評価される人もいるし、死んだ後も評価される人もいる。推理小説ならともかく、純文学の分野のように、死んだ後に評価されると幻想を抱いてやっている人々だっている。その人たちの幻想を守る期間は長いほうがよい。
質問:流通業者は、ある程度の利益が見込めないと出版できないという。20代、30代の作家の場合、100年くらい投下資本回収の期間があるのに、出版できないというのか?
回答:そもそも、出版契約は長くて5年なので、著作者には関係ない。出版社側の、復刻を出すか出さないかの問題だと思う。
質問:世界が100年になれば100年に合わせるのか
回答:その場合、日本も合わせるべきと思う。

質問:DRM(デジタル著作権管理)がしっかりしてきたとき、作家はどう対応するか?
回答:小説家は書籍が売れて、図書館等に残される、ということを前提としている。ネットに公開することは、無料で公開する、ということではないだろうか。コピーガードも信頼できない。
質問:では本が売れてコピーガードもできれば認めるか?
回答:それは出版社の問題だ。

質問:出版社を中抜きして直接売れる状況ではどう考えるのか?
回答:私のホームページでは、コピー不可で日記を掲載している。ネットは利益をあげるものではないと考えている。著作者としてはコピーガードは意味がない。

質問:銀河鉄道の権利が切れていないときには、権利者(宮沢賢治の遺族)が拒否すれば、松本氏は銀河鉄道999を作れていない。そんな世界をあなたは望むか?
回答:利用したいものは、誠意を持って遺族を説得するしかない。

質問:誰もが著作者となる時代では、著作者の中での文藝家協会の割合は低い。著作者たちの総意かどうか分からない延長を支持するのか?
回答:確かに誰もが発信できる時代だ、しかしそこで発信されるものは「情報」であり、我々の発表している「文化」は違った尺度で測るべきだと思う。
同人誌は知り合いでしか流通しないが、それを出版社が採用すれば賞をもらえる可能性がある。そこには出版社の背負ったリスクがある。音楽でいえばオーディションや先行投資。そうやって投資した中で、わずかが売れる。ブログのように売れるかどうかも分からない情報を発信する、というものと並列に語るのはどうかと思う。

質問:クリエイティブコモンズについてはどうか?
回答:いちいち記号つけるのは面倒だ。一個一個につけるのでなくて、サイトに集約する形で載せるべきとデータベース化を進めている。協会に登録している人は二年くらいでデータベース化できる。
ただ書籍すべてをデータベース化することは不可能。ハウツー本など、権利者がすぐ不明になる本もたくさんあるので、意思表示している人だけの権利を守るでいいのではないかと思う。
質問:今あるコンテンツポータルの音楽関連のデータベースは、精度が高いとは言えない。JASRACが80年掛けてあの程度の精度。それなのに、二年で文藝家協会のデータベース化が出来ると言える根拠は?
回答:二年で出来るとは思わないが、この話は70年の延長問題はセットなので二年といった。裁定制度によるフォローを行う上ではデータベースが必要だろう。
質問:意思表示はベルヌ条約の無方式主義とバッティングすると思われるが?
回答:ベルヌ条約を侵すのはダメだ。しかし、裁定制度を柔軟に運用できる仕組みは可能だ。登録制度という言葉を使うとベルヌ条約的にアウトと思うので、裁定制度の「相当の努力」を拡大解釈して実質的利用を行うようにしていくべきだ。