ビジネス 通信と放送は融合できるか

概要

ブロードバンドの急速な普及にともなって、通信のインフラを使って映像を伝送する「通信と放送の融合」が、技術的には可能になってきました。しかし現実には、いろいろな権利関係などの障害が多く、なかなかビジネスとしては立ち上がりません。今回のシンポジウムでは、問題点を明らかにするとともに、その解決の方向を関係者との議論によってさぐります。

出演:原淳二郎(ジャーナリスト)
楜澤悟(クラビット社長室長)
田中良拓(風雲友社長)
司会:池田信夫(ICPF事務局長)

第2セッション 15:45-17:45
「著作権の処理をめぐって」
融合の最大の障害である著作権などの権利処理の問題を考えます。
出演:林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学副学長)
春日秀文(弁護士)
安東高徳(総務省情報通信政策課コンテンツ流通促進室課長補佐)
司会:山田肇(ICPF副代表)

日時:7月29日(金) 13:30~17:45
場所:東洋大学 スカイホール(2号館16階)
東京都文京区白山5-28-20 (地図)
地下鉄三田線「白山」駅から徒歩5分
地下鉄南北線「本駒込」駅から徒歩5分
入場料 2000円(ICPF会員は無料)
申し込みは、info@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)

第1セッション 13:30-15:30
「放送とインターネットの出会い」
地上波放送の再送信をめぐって起きている問題を整理し、解決策を考えます。

レポート 第1セッション

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「放送とインターネットの出会い」
出演:原淳二郎(ジャーナリスト)
楜澤悟(クラビット株式会社 社長室長)
田中良拓(風雲友株式会社 社長)
司会:池田信夫(ICPF事務局長)

現在の放送ビジネスの限界

原:映像コンテンツの流通促進策として、経団連が映像コンテンツの2次利用のために権利者から同意を得る情報システムの創設を提唱したが、情報処理システムがあったとしても関係者があまりに多いのですべての関係者から承諾を得ることが難しいという問題がある。また、制作著作をテレビ局が独占している現状で、クリエーターは二次利用する権利をなかなか持てない。持ちたいというと制作費が半分になるから事実上持てない。そういう人たちが自由に使える音源がない、タレント・ミュージシャンなど出演者の二次利用への同意が得られないのが現実で、番組を作っている人々は権利のしがらみから逃れられないという点が問題だ。

現在流行している音楽プレーヤーに対して業界は私的複製補償金を求める構えで ある。権利のしがらみが複雑になっているという点で、これらは同じ性質の問題ではないか。デジタルコンテンツに関しては、関係者みんなが儲かるビジネスモデルがまだ無いからだ、と思う。著作権保護の強化が進んでいるが、そういう中でコンテンツビジネスが成立するのかどうか。流れを逆転しなくてはならないのではないか。

BBTVについて

楜澤:BBTVは放送事業を始めるために電気通信役務利用放送法の認定を受けた。地上波の再送信・CS・BSをIPマルチキャストで流すことを目的とする。しかしBBTVの場合、NTTの局まではマルチキャストだが、最後はユーザーが選択した1チャンネル分が流れる。このためユーザーが選択した結果として流れてくるのは放送ではなく、自動公衆送信ではないのか、と文科省から指摘された事で苦心してきた。

事業を始めた三年前は、IPマルチキャストは世界的にもほとんどなかった。三年でどんどん商用化。日本が著作権がらみで苦労している間に後からの事業者に抜かれたというのが現状。イタリアではファストウェブが地上波の再送信をはじめている。放送と通信の差を問うのがナンセンスな状況。フランスも同様に放送。100万個のSTBを配布。アメリカも年末から来年にかけて本格的な展開。計画も含めれば数は更なる事業者数に。IPマルチキャストはあたりまえになる。

我々は放送事業者と思い免許を持ってやっているが、あなたがやっている事は放送じゃないと一方で言われる。なんとなく放送じゃないといわれる雰囲気が漂っているがために、踏み込んでもらえない状況。以前からケーブルを使ってサービスを行っていた事業者は別として、IPマルチキャストを使ってサービスを行っているところは、まだ扱いがはっきりしない。ラストマイルまで全チャンネルがきているかどうか、といったユーザビリティとかけ離れた点で問題視されている。法的な障壁としては、次のようなものがある。

・著作隣接権の問題:無許諾再送信、固有の著作権は働くが、それを編集して独自の番組を使ったときの著作権の保護がきかない。

・一時固定の問題:放送事業者にしか認められていない。複製権としての処理をしなくてはならないという問題も。

・商業用のレコードの二次利用:BGMなどにレコードを使うときも、放送ではなく送信可能化なので、著作権者に許諾を事前に得なければならない。

著作権法の中でも、われわれが放送事業者ではないとは書いていない。著作権上の有線放送の定義では、スカパーなどと比べてどこが違うのかよくわからない。著作権法上の「自動公衆送信」の定義は、具体的に細かく議論されたことがない。われわれを放送事業者として認めてもらえなかったが、ここ2,3ヶ月で大きく変わってきている。

総務省のスタンス

田中:地上波の再送信問題への対応に関しては、総務省は自身を精神病患者と言っているし、まわりのNHKも民放も精神病患者という状態。それが今の状況。いままで、総務省はNHKと民放各社の背後にいる政治家の言うとおりに動いてきた。今回、NHKが不祥事で重病人になっているため、総務省は、もう少しイニシアチブをにぎれるのではないかという状態。これが総務省と放送事業者の力関係。

総務省にとって、地上波放送の完全デジタル化は絶対に実現しなければならない政策である。しかしもうこれ以上お金を掛けられないというのも現状である。それではということで、光ファイバーもしくは衛星を使った送信を可能にして2011年の完全デジタル化を実現しようという流れ。この大きな問題のおかげで再送信の話題はもう頭から抜けている。
役務利用放送法は官僚からするとこれは単なる行政のプロセスのミス。

ディスカッション

池田:直近の動きとしては、地上デジタルのIPによる再送信を認める動きがある。栄村もOKと考えていいのか?
楜澤:放送に近いレイヤーに踏み込むとだめ。インフラレイヤーだけをやっておけばいい、と言われかねない。
田中:IP送信をしようという流れは、すでに放送してしまったものをVODでというもので、今流れているものを再送信するものではないので、その違いは大きい。
楜澤:VODは純粋にビジネスの問題で、再送信とは違う。二次利用ばかりで新しい作品が作られなくなっては困るという製作者サイドの意見が障壁となっている。
池田:一番の問題は再送信。栄村があれだけ駄目と言われていたのに・・・
原:日本テレビに栄村方式の再送信は認めるか、認めないかと質問したが、未だに返事はない。日本テレビのHPを読む限りリアルタイムの再送信は前提になっていない。
楜澤:それは第二日本テレビの話ですよね?その話は(再送信と)少しわけたほうがよいでしょう。
原:地上デジタルのカバー率を80%としても、山間部のカバーはNTTの光ファイバー使ってという考えではないか。山間部でテレビ鉄塔をたてるのはコスト高になるというが、同じように光ファイバーでも敷設コストは高くなる。
池田:栄村が、なぜあれだけ非難されたのかわからない。
楜澤:放送局側は自分たちのイニシアチブを維持したいという考えではないか。ポジションが確立されれば認めてやってもいい、という話ではないか。栄村のように勝手にやるのを認めることに対する抵抗感だろう。
池田:放送局がコントロールして、地域外に出さないようにしようということなのか。
楜澤:放送局が作った番組、と認めることに問題はない。ただ流し方はIPのインフラに適した流しからがある。だからこそキー局の押し付けが効率性を殺す可能性に懸念を抱いている。既得権でそういうことはないようにしてもらいたい。
原:再送信が認められても業界の体質は変わらない限り、自由なコンテンツの流通はできない。権利のしがらみに陥ったコンテンツのテレビ局独占は今後も続く可能性がある。ネット時代のコンテンツはテレビのコンテンツではないのではないか。個人が映像を流通させる時代になるからこそ、今までのテレビ業界のやりかたを持ち込むことが問題。
田中:果たして誰がやっていいのか。放送の言論の自由やマスメディア集中排除原則がどこまで許されるのか。本質的な話がなされていない。総務省は、一民間人の視点もかんがみて指示すべきはずがそうならない。
池田:好意的に解釈すれば、今回の一連の流れは、デジタル化が多様なインフラでオープンに進められるきっかけになるのではないか。
原:きっかけにはなるだろうけど可能性は低い。個人でもハイビジョン映像が撮れる時代になってきているが、たとえば背景に権利が絡んだ看板が写っていたらどうするのか。オートサーキットだとしたら、報道用カメラを持ち込めても番組のためだとアウトになる。素人がコンテンツを制作できても流すことはできない。著作権保護強化の流れが逆転する時代が来ないと個人の映像コンテンツも流通させるのが難しい。
池田:再送信がなぜ日本ではできないのか?
楜澤:IPでやったら放送じゃない、そんな話がねじまがって伝わってしまった。権利保有者に不安を助長してしまった。どう考えても放送であるはずなのに、面子を立てなければならないという理由でこの国は何年遅れてしまったのか。憤りを感じる。
池田:Win – Winの関係にできないのか?
楜澤:地上デジタルをIPでやることになって、もうIPマルチキャストは放送じゃないといわれないのはすごく楽だ。ドアの前に立たせてもらえない状況から、話ができる状況にまでになったのは大きい。意味不明の無駄なことをしなくてすむ。
池田:域外に流さないことを前提としている点と、「水平分離は認めない」としている点が気になる。域外に流さないことを前提にすると、話がやっかいになるのではないか。ローカル局の権益をまもらないとIP放送ができないとなると、何のためのIP放送かわからない。
楜澤:県域免許ならそれに従うべきと考えている。ただしお金の問題もある。ただおかまいなしに東京の全チャンネルを流そうとは考えていない。
池田:逆に北陸朝日放送など、実力のあるところにチャンスだってある。全国どこにでも送信できる可能性がある、と政策提言してもいいのではないか。
原:テレビ業界の反感を買う可能性はあるが、ローカル局が挑戦するきっかけになりうる。しかし現実にはそのためのビジネスモデルがない。
池田:域外に流れることを止めることが前提となっているが。
楜澤:あまり放送事業者だけのせいにするのもおかしい。われわれが自前でやってることが放送と認められれば、自分たちのチャンネルを持ち、放送局として自社制作のコンテンツをつくって、となる。ビジネスとして成立していけば可能。
原:多チャンネルのCSもビジネスモデルとしては既存テレビの真似。IPマルチキャストには独自のやり方があるのでは。テレビと同じ道を歩まないほうがいいのではないか。
楜澤:そう思います。ただ根っこに必要なのは制作者の協力。この状況を変えていくだけの事をしていかないとこちら側に人々をインバイトしていけない。
原:ヤフーなどが広告主になっていくしかない。

Q. テレビやラジオが絶対に必要なこととして緊急時の同報性があるが、IPだと通信路はひとつだから線が途切れてしまうという問題がある。これは放棄していいという考えなのか?

田中:放送におけるユニバーサルサービスとは何か、という議論はまったく行われていない。放送行政は政治との対応であって実際の政策論はまったく行われていない。いろいろ理由があるが人材が滞留している。電気通信事業分野の政策に関する議論は活発だが、それがやっと無線の分野まで広がりつつある。やっと通信の無線のところにいきつつある。放送は最後の最後で、何年分も遅れている。

Q. 原則として域外も認めるべきではないか。

池田:域外禁止はできないと思う。流れるものを流さないようにすることは、視聴者の反発を買うだろう。なし崩しにできるようになっていけば、ローカル局の一部は全国に流すようになっていくのではないか。
田中:CATVはあくまで地上波の補完という位置づけ。制度化していないのがキー局の作戦。デジタル化の期限が近づいたとしても話ができない。年月がそのまますぎてしまっては省内の都合で見られない、という状況になりかねないが、これが現状。
池田:通信事業者に関しても、域外に流さないならばIPによる再送信を認める、ということになるのだろうか。国境のないインターネットに県境をつくるなんて、とんでもない話だ。
楜澤:テレビ神奈川がディレクTVがはじまったとき、そのまま流した。テレビ神奈川は独立系のテレビ局だから反発もなかった。経済的な理由で続かなかったが。
池田:ネット配信できるようになれば、なし崩し的になるのでは・・・

Q. 域外規制やったとしても技術的にできてしまう。問題は放送事業者としての免許。IPになったら海賊放送はいくらでもできてしまう。海賊放送を容認できるか。どこかでそういうところを認識しなくてはならない。

田中:モラルの低い事業者だとありえる。一番わかりやすいのは政治的に中立的でなくてはならないという規制。電気通信事業の第一種・二種免許を撤廃する、となったときに、やめてくれ、という人もいたが放送に関しても撤廃しようという議論になったら政治的に中立というところにこだわる必要はない。アメリカでは、放送が政治的に中立である必要は1980年代から無い。この点では、日本では15年以上も遅れている。

Q. 放送コンテンツはいろいろあるが、見るにはお金と手間がかかる。全てのコンテンツがBBTVなどに一箇所集中することはできないのか。

田中:地方局を救うためにいろいろ変わったが国民は何も知らずにいる。アメリカでは本当に民主主義か?と問われる場にまで議論がもっていかれる。
楜澤:いろいろな問題もあるが数の母集団をつくっていかなければならない。増えていけばコンテンツのほうから寄ってくる形は作れると考えられる。そういう時期はいつか来ると思う。IP TVはマスメディアになっていないので、集中排除原則の対象にならない。
原:テレビ局のコンテンツ保護、経営基盤強化ではなく、誰もが自由に映像配信できる環境が形成されるべきではないのか。

レポート 第2セッション

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「著作権の処理をめぐって」
出演:林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学 副学長)
春日秀文(弁護士)
安東高徳(総務省情報通信政策局コンテンツ流通促進室 課長補佐)
司会:山田肇(ICPF副代表)

メディアの融合と著作権

林:現在問題になっているのは、放送が参入撤退についてはシビアだが、コンテンツについてはよりシビアということ。これらは著作権の処理と密接なかかわりを持っている。またメディアの集中度も重要な要因である。今までは三つの産業が別々に存在していたが80年代から通信とコンピューター、90年代以降には放送とインターネットが融合しつつある。法的には放送とは「公衆によって直接受信される事を目的とする無線通信の送信」となっており、電気通信は無線でなくてもありえるということになり、送信と受信の両方があるので、放送よりも通信、さらにはインターネットのほうが(解釈範囲としては)広い。

今までは(無線)放送と有線放送しかなかったが、自動公衆送信という概念が出来た。日本は自分が言い出したので準拠して法改正を行ったが、他の国は準拠していない。例えばアメリカには、送信可能化の概念はそもそもない。世界一進んだ著作権法となったが逆に自動公衆送信、送信可能化という概念があるがために、放送と通信が違うという副作用が出てきてしまった。しかし、この公衆送信を規定した概念を用いれば、メディア共通法を考える上では優れた概念になりうる。

コンテンツに責任を負わない人に著作権上の権限は発生しない。新聞の場合、雇用関係にある新聞記者が書いた著作物は職務著作物として新聞社に著作権が発生する。それが出版業になると、出版権の設定が著作権法にあり強い権利を主張できるのに、行使されているのは業界で10%未満。流通過程で権利侵害が起きた場合、出版社は放置しておくと(自社に対しての権利侵害に繋がる)問題なので出版社が問題を(著作者から)肩代わりする。それに対して放送は非常に恵まれている。職務著作で製作すれば放送局に著作権が発生する。他に制作会社が作った番組でも、それを放送したら放送事業者に固有の権利が発生する。

日本は外部プロダクションとの契約にあたっては放送事業者のほうが立場が強く、独禁法による優越的立場の利用でいろいろなことをやっているのではないかと疑われている。実際はしっかりとした契約書などないのではないか。外部プロダクションに権利を残せ、など公取委の指導があるが実際そうなってはいないだろう。
モデルとして1)著作権法上放送はいろいろな特権を持っているので放送にあわせるべきではないか。2)番組編集準則を排除して自由なメディアを享受する方向にむかうべき、という2点が考えられるが、それは最終的にはビジネスが決めることだ。

私的複製の範囲

春日:録画ネットの事件とは、サーバーをアメリカに住んでいる日本人に売って日本で預かる商売。業者はサーバーを500ドルくらいで販売するとともに、それを預かって50ドル弱のハウジング料をとっている。あずかったサーバーをテレビアンテナにつないでいる。アメリカの自らのパソコンで利用者は日本にある自分のサーバーに指示を出して日本のテレビを録画させ、動画ファイルをアメリカに転送させて楽しんでいる。ハウジングしている業者は、利用者がテレビ番組を録画しているかどうか、いかなる番組を録画しているかは、わからない。また、もちろん、ハウジング料は50ドル弱の定額で、録画するかどうかには全く連動しない。この商売を私のお客がやっていたところ、NHKと在京5局が著作権隣接権(複製権)を侵害したとして仮処分を申立て、業者は裁判所からサービスの仮差し止めを受けている。以下、裁判での業者の主張を紹介する。

総務省の政策

安東:「放送と通信」の関係についていろいろいわれているが、放送番組がネットに流れることだけをもって「放送と通信の融合」と表現するのは、携帯電話などへの多様な展開の実態を踏まえると現実的には狭い見方になってきていると感じている。

議論のはじめにコンテンツビジネスの現状や振興に関する政策の紹介を簡潔にさせて頂くと、コンテンツ産業は、総額としては11兆円で横ばいだが、ネット流通を含めたマルチユース市場は飛躍的に拡大している。ブロードバンドやモバイルインターネットの影響が大きい。また、老若男女を問わずにネットを利用する割合が増えている。総数としては20、30代が多いが、60代も伸び率で見ると他の年代に勝っている。これは、ブロードバンドを通じたデジタルコンテンツへのアクセスの意欲が年齢層を問わず増えているものと考えられる。

こうした状況において、放送と通信の垣根はビジネス的には小さくなっていくだろうが、我々政府としては政策的な観点から常々何を行うべきか考えているところ。総務省としては、「良質なコンテンツが制作され、それが(散逸することなく)デジタルコンテンツとして適切に保存され、ブロードバンドネットワーク上を円滑に流通することをもって更なる良質なコンテンツの制作へつながっていく」という「制作」、「保存」、「流通」の「コンテンツ創造サイクル」を大きく回そうという発想を持っている。高度なインフラの整備の上に、制作と保存と利用で潤沢で良質なコンテンツが多くの人々に届くことを目指している。

こうした政策のもとで、放送コンテンツがブロードバンドネットワークで流れる場合のポイントの一つは著作権等の権利許諾手続の円滑化ということ。例えばドラマをネットワークに流す場合、音楽・シナリオ・実演など何十本もの諸権利のクリアが必要となる。この手続の円滑化のため、総務省は平成14年度から16年度まで「権利クリアランス実証実験」を行い、関係者とともに検討を行った。ポイントはメタデータとオンラインシステム。権利者団体と放送事業者のデータベースをマッチングさせて情報検索し、許諾手続を進めていくという仕組み。今まで電話やFAXで行っていた許諾手続を双方のデータベースを有機的に活用して効率化していくというもの。ブロードバンドから得られるコンテンツの収益は1回100円や1000円程度でしかも後からの収入。だからこそ事前の許諾手続に係るコストを押さえることにより、コンテンツを出すリスクを下げることを意図している。また、許諾というのは単に「使いたい」、「使わせる」というシンプルな選択だけではなく、「人間系」の尊重も必要になることを踏まえ、簡易な手続はオンライン化していくこととなる。

最近、経団連がコンテンツ検索のポータルサイトをつくるとの動きがあったが、我々はコンテンツ振興に関しては「法律」・「技術」・「ビジネスモデル」と三段階で考える必要があると認識しており、先述の「権利クリアランス実証実験」は技術の部分で関与する施策。当室からみて徐々に仕組みが整いつつあるのではないかと考えている。

ディスカッション

Q. 林さんの資料で、著作権法上の位置づけについてインターネットは「自動公衆送信」として整理されているが、何を基準にこんなことを書くのか。そもそも、著作権法上「自動公衆送信」としたこと自体が問題ではないか。

林:法学者の見方として現行法の解釈としてはこうならざるを得ない。

春日:録画ネットは複製権が論点となっている。

安東: 著作権法上の位置づけの課題に関しては、内閣の知的財産戦略本部が策定した「知的財産推進計画2005」において、電気通信役務利用放送に関して著作権法上の(マルチキャストの)位置づけを明確にするよう関係省庁に求めている。これを受け、我々は鋭意文部科学省と意見交換を行っているところ。

Q. 権利クリアランス実験に関して。誰かがメタデータを打ち込まければならない点と、仕組みを作るとした場合、その仕組みを維持運営する組織をつくらなければならない。有効性と現実性はいかほどか。

安東:放送コンテンツのネットワーク流通を促進するにあたって、メタデータの整理は不可欠。ただ、整理すればそれでいいかというと、例えばアーティストの情報についてレーベル移籍などがあればそのメタデータは非現行となる。つまりたとえデータベースとして整備されているとしても永続性を求めるのは難しい。また、データベースは社内で一元化されていない場合や、一元化されていても完全に作られていないものなどもあると想像している。このような状況を踏まえ、先述の実証実験では、データの検索及び権利許諾手続を行うため、多くの権利団体とホルダーの間をオンラインでつないでいる。ちなみに、実験開始時の三年前では関係者をオンラインで繋ぐということはなかなか考えられなかったが、実験を進めることによりずいぶん状況が進展してきたと認識。なお、このオンラインシステムについては、一生総務省が管理するのは難しいため、システムのメリット・デメリットを整理し、民間への受け渡しへの論議を進めていく予定。

林:権利者が出していきたい、と思わないとコンテンツは流通しない。日本の音楽業界の事例だと、あまり出していきたいというように見受けられない。アメリカのようにむしろチャンスと思えるようになっていけばいい。日本では私的使用の範囲ですら狭くなっている。パブリックドメインはそう表記するだけでも変わっていくのではないかと思う。

山田:IPマルチキャストは放送と認めてもらえば権利関係が楽になるのだが、放送業界の中では自分たちで放送したものを2次利用しようとしても権利処理で頭を抱えている。

Q. インターネットという特別の技術をもって放送と定義することに問題はないのか。技術論を法律の問題に持ち込むのはナンセンスではないかと考える。

林:ことはそう簡単ではない。例えば電子署名等において、今日本は公開鍵暗号方式を前提にしていると思う。テクノロジーニュートラル(技術中立)にしておかないと、技術が変わるごとに法改正しなくてはならない。だからニュートラルが原則だが、デファクト標準があると原則ばかり言っていられない。その技術がアメリカにしかなくて、となれば従属関係になることを許容する、ということだってありえる。

春日:いわゆる間接侵害の問題で、業者と著作権者との関係のバランスは立法府が考えるべきこと。裁判で判断するのは妥当でない。著作権法には、著作物を個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とするときは複製してよいと書かれている。裁判では業者が、テレビ番組を録画しませんかとの文句で宣伝していることを捉えて録画の主体を業者と利用者の共同行為であるという。しかし、これはおかしい。

裁判でこういう判断をされると適法行為とそうでない行為の区別が分からなくなる。適法な商売、録画行為が抑制されてしまう萎縮効果が働く。裁判所は技術開発には中立であるべきである。エアボード(ロケーションフリーテレビ)は適法だとされている。違法ファイル交換が行われてる事例との決定的な際は、利用者の行為自体は適法であることである。一方で録画ネットのサービスも普通のハウジングサービスと比較しても別に変わったことをしているわけではない。新しい技術に関して、法文上の規制はないのに、ごちゃごちゃいうな、というなというのが感想。

安東:技術中立性のスタンスは産業振興から見ても重要。法律制定当初には抽象的に観念され法律に記述されるのみで具体的に規定していなかった技術が後日たくさんでてくることがある。法律論とは別に、総務省としては、「将来はこのような社会が実現する」といった「絵」をかいて提示する必要があると感じている。

林:現行法は二つの意味で問題があると考える。総論で言えば法の精神は、著作の権利と利用者の権利をバランスさせることだろう。法律的にこれを実現するのは難しく、片方に権利を与えておいて、反対側にこうしたら権利侵害にならないという例外を設ける。しかし、それでは例外規定がどちらかといえば低く見られるという問題に陥る。

この問題は、パブリック・ドメインの範囲などの問題で顕在化する。例えば電子情報通信学会は本を出すとき学会が権利を吸い上げる。だから他人の権利を侵害しないよう、著者が事前に権利処理を済ませなくてはならない。わが国では、政府刊行物にも基本的に著作権があるので、情報通信白書に対する権利処理を行わなくてはならない。アメリカでは政府発行物に著作権が発生するとは考えない。明記もされている。

春日:私的複製に該当するかいなかを、従来のように著作権法の中での完結したロジックのみで判決を出そうとするのはおかしい。複製権の例外のありかたは重要。憲法の話をしたら裁判では負けといわれている。しかし、著作権法も、憲法に抵触したら当然違憲となる。著作権法の例外規定解釈にあたり、複製者の利益すなわち人権を考慮することは当然司法の場でもできる。

録画ネットがらみで言えば、アメリカにいる利用者は、録画したテレビ番組をDVDに焼いて販売して儲けようとしているわけではない。利用者は、録画ネットからサーバーを購入して、預かってもらい、みずから日本のテレビ番組を録画している。母国の地域情報を集めたり、同行した子供にとっての日本語の勉強に利用されている。配偶者は慣れない生活の中でテレビを楽しんでいる。これら利用者の利益を保護することは不可欠であるはず。エアボードを留守宅におくのはよいのに、業者に預けるのは違法というのは説明がつかない。

山田:デジタルだと複製しても劣化しない。だから規制が必要というのは著作者のために必要かもしれないが、やりすぎると私的利用の範囲がだんだん狭くなっていく。驚いたのが全盲の人がよむ本、本のテキストを音声読み上げソフトにかければ解決するのに、それが許されない。それはそのテキストを渡すと複製の範囲が広がってしまうから。技術が進歩しても使用範囲が狭まってしまうのはもっと考えるべき問題。私的使用の範囲に関して意見は?

Q. iPodなどの議論を見ていると、私的録音録画補償金の対象を広げるなど「保護」の観点が強い。知財本部も保護の観点が強いように見え、総務省も保護の観点が強いように見受けられるが、総務省はほんとうにコンテンツ流通を促進してくれるのか?

安東:自分は3年前から2年間知財本部にいたが、確かに当時は「プロパテント」といわれるように特許中心、特許ありきの議論でやってきた。このときは保護の色合いが強かった。ただ、2年ぐらい前から知財の一つとしてコンテンツの振興も柱に据え始めた。その流れの中で、「保護と利用のバランス」といったマクロ的な視点が確立されていったと認識。国民の皆様に対する政府の「約束事」を各省にぶつけていくことが知財本部の仕事であり、このようなマクロ的な視点は各府省にも広まってきている。他方、総務省としては、ユーザーの視点を含む「ユビキタス・ネットワーク」の観点での施策も提示している。以上から、総務省の視点も広がっていると理解してほしい。

Q. テレビが見られない場合、生存権の話にもっていけるか?

春日:可能性あり。検討する。たとえば、東京に生活の基盤があるアメリカに赴任したビジネスマンにとっては東京の地震・水害等の情報は、みずからの生活の基盤を維持するために重要である。子供が日本のテレビ番組で日本語を勉強し、また配偶者が番組を楽しむことも、文化的な生活を営む行為である。

林:著作権の問題を法技術的に理解するという流れが蔓延している。これは法をテクニックとして理解することから始まる大きな問題。細かい経緯などを知らないと馬鹿にされる風潮。そのことよりももっと大事な(著作権は言論の自由と直結しているといったような)ことがあるという理解を広げたい。

春日:録画ネットの件でいえば、利用者が録画していることは一目瞭然で、自然的観察上も録画しているのは利用者であると裁判所も認定している。にもかかわらず、「利用者と業者が共同で録画している」というのはおかしいし、著作権法の条文をみてもそのようなことは書かれていない。放送局が番組の権利関係を整える作業というのは、部品等の出所表示と同じこと。メーカーは昔からやっていること。番組が売買できる環境があれば、ビジネスベースで動いていくのではないかと思う。

安東:本日の質疑を聞いて印象深いのは、皆様がテレビについて非常に関心が高いということ。テレビが見られないことを生存権で捉えるというのは相当テレビが好きであることの裏返しと理解。なお、テレビの一日平均視聴時間は4時間。これは徐々に増えている。インターネット広告もラジオを抜いた。こういう状況は他国では見られない。日本の人々のテレビ・インターネットへの依存度が高まっている。こうした状況において、我々としては2次利用環境も整備していきたいが、ネット上の新しいコンテンツの制作・流通も促進していきたい。映画時代は五社協定が締結される中テレビ局は独自のコンテンツを作ってここまできた。ネットも、今の生みの苦しみを乗り越えていけば、今後独自の展開をしていくのではないか。そして、2次利用の課題はやがて解消され、独自コンテンツのみで対応するということになるかもしれないとも考えている。