健康 オーダーメイド医療とバイオバンクジャパン 久保充明理化学研究所統合生命医科学研究センター副センター長

少子高齢化が進む我が国にとって最大の社会問題の一つである、医療費の高騰・介護負担の増大に対する解決策の一つが、健康・医療・介護分野での情報通信の利活用です。
シリーズ第3回として、オーダーメイド医療とバイオバンクジャパンについて、オーダーメイド医療の実現プログラムリーダーの久保充明氏に講演いただきました。

日時:2013年1月17日(金曜日)18:30~20:30
場所:東洋大学白山キャンパス5号館1階5101教室
司会:山田 肇(東洋大学経済学部教授、ICPF理事長)
講師:久保充明(オーダーメイド医療の実現プログラムプログラムリーダー、独立行政法人理化学研究所 統合生命医科学研究センター副センター長)

講演資料はこちらにあります

冒頭、講演資料に基づいて、久保氏は概略次のように講演されました。

  • 背が高い人・低い人などそれぞれ体型が違い、同じ様に病気になりやすい人、薬の効きやすい人がいる。このような体質、「多様性」には遺伝(ゲノム)の文字の違いが関係している。90年代に「ヒトゲノム計画」が実施され、30億のゲノムの並びが解析された。ヒトゲノムの99%以上は全員同じだが、1千万か所程度は人によって異なる(文字が違う)。この相違部分が、体質を決め、体質は遺伝する。ゲノム解析の技術は進化し、1日~1日半で30億すべてが調べられるようになっている。
  • ゲノムを利用した医学研究の基盤がバイオバンクである。ゲノムの文字の違いが病気の確率を左右し、薬の副作用を左右する。病気に関わる遺伝子がわかれば薬の開発につながり、遺伝的要因と環境要因の相互作用の分析が進めばオーダーメイド治療へつながる。そのために、大人数のゲノム情報と生活環境情報を集めたバイオバンクが利用される。2003年にオーダーメイド医療実現化プロジェクトがスタートし、同時にバイオバンクジャパンも動き出した。
  • 第1期には47疾患を対象とし、199,998名、340,298症例(1人の人が複数の疾患あり)を収集し、それ以降追跡調査している。第3期からの第2コホートでは、38疾患、10万人を追加中である。12の協力医療機関、50数病院の患者にお願いして情報を収集し、東大の医科研に集めて研究している。
  • 2003年には電子カルテが普及していなかったし、電子カルテはベンダーごとに仕様が異なるので、調査票は各病院で手入力している。調査票の情報は院内に蓄積され、1年に1回、病院にわれわれが出向いて情報を入手している。バイオバンクに協力している患者の年齢構成は、日本全体の患者の年齢階級と相似している。試料は審査を行い外部に配布している。配布先は、大学が2/3、企業が1/3である。
  • プロジェクトでは、すでに236個の病気に関連する遺伝子を発見している。世界中で2007年から同様の研究が増えてきている。病気、薬や副作用に関する文字の違いがたくさん発見されてきたが、これをどう医療につなげるのかが課題である。文字の違いにより、周辺に存在する遺伝子を基に作られるタンパク質が量的または質的に変容し病気に関係する、これを地道に研究すれば、治療方法やバイオマーカーの開発につながるはずである。
  • 健康診断の結果でいろいろ注意コメントがでるが、きちんと守っても病気になる人もいるし、守らなくても病気にならない人もいる。これが個人にあわせた注意コメント「あなたは遺伝的にこうだから、こういう予防が必要」といったことになれば、オーダーメイド予防になる。アンジェリーナ・ジョリーの場合、乳がんになりやすい遺伝子を持っていた。乳がんになるリスクが80%、卵巣がんのリスクが50%と説明され、切除した。これは遺伝性がんの場合である。
  • 遺伝性疾患は、遺伝子があるとほぼその病気になるが、一般的疾患は、遺伝子があっても、なる人とならない人がいる。糖尿病、心筋梗塞、がんなどの一般的な病気は、多数の遺伝子の文字の違いが関連していて、ひとつひとつのリスクはとても小さいが、全体が病気のなりやすさに影響する。しかし、一卵性双生児は30億のゲノムが全く一緒だが、同じ日に同じ病気になって同じ日に死ぬわけでない。つまり、ゲノム情報は体質をきめるが、人の一生や運命を決めるものではない。病気のなりやすさには、体質(ゲノム情報)に加え、環境(生活習慣)が影響する。疾患関連遺伝子が同定できたといっても、オーダーメイド医療が実現するわけではない。遺伝・環境要因の解明・リスク予測・リスクに応じた介入が3条件となる。そのためには、遺伝と環境の関係が見えてくる、長期追跡研究(コホート研究)が重要になる。
  • もうひとつの使い方として、日本人前立腺がんリスクモデルがある。血液検査でPSA値が高いと二次検診に回す。中リスクの人への病院によりけりだが、ここに遺伝子検査を取り入れれば、二次検診に回す人を選別できる。
  • 病気になり薬を飲む。薬が合う人はいいが、効かない人もいる。ここにゲノム情報を入れて、あなたはこちらの薬がいいと薦めるのが、ファーマゲノミクスである。2011年から薬剤関連遺伝子による臨床介入のプロジェクトを実施している。カルバマゼピン(てんかんの薬)は、よく効くが薬疹が多く、重症化もある。薬を止めたあとも悪くなることがある。薬疹を起こした人、起こさなかった人のゲノムの文字の違いを1か所発見できた。HLA-Aという遺伝子の31:01タイプを持っていると、薬疹を起こすリスクが10倍で、薬疹を起こした人の6割はこの遺伝子を持っていた。先に、この遺伝子をもっているかいないかを調べてから薬を使えば、薬疹を減らせる。
  • 疾患発症のリスク診断を実施している23andMe対して、FDAが中止勧告を出した。まだ遺伝子検査は医療行為とはなっていないのだ。一方で、遺伝子型検査に基づく薬剤使用の適正化は進みつつあり、FDAは約100薬剤について、投与前の遺伝子検査を推奨している。また、日本では遺伝性疾患の遺伝子検査はほとんど保険適用になっていない。

講演後、次のような質疑応答があった。

Q(質問):なんで文部科学省のプロジェクトなのか、厚生労働省ではないのか。
A(回答):プロジェクトスタート当初は、病気と本当に関係しているかわかっていなかった。医療という現実味がなかったので、文科省になったのではないか。
Q:厚労省が関与したほうが遺伝子診断の利活用が促進されるのではないか。
A:そういう面はある。遺伝性のがんはだいぶ前からみつかっているが、厚労省は遺伝子検査を保険適用していない。これは、遺伝子変異が見つかったときにどのようなケアをするのかの体制がないからだ。例えば、アンジーには娘がいて、50%の確率で乳がんリスク遺伝子がある。それでは、彼女たちはいつ検査するのか? 米国には遺伝子による差別禁止の法律があるが、日本では差別が起こるかもしれない。遺伝カウンセリングが必要だが、そのような体制は整っていない。
Q:1週間前に読売新聞が「経産省が遺伝子ビジネスを認定制にする」という記事が掲載されていた。ご存じあれば教えてください。
A:経産省主導なのは、23andMeもそうだが、一般の人への遺伝子診断サービスは、医療でも健康診断でもない。今の段階では、将来の病気の確率について「おみくじ」をひくような程度のもの。23andMeだと「胃がんリスクは一般には18%、あなたは25%」というような書き方をされる。FDAが止めたのは、精度が悪いのに、診療につながる恐れがあったためだ。ゲノム応用ビジネスは世界中で動いているが、当然、文科省は相手にしない。厚労省は医療でなければ相手にしない。産業振興として経産省に持っていくしかなかったのだと思う。
Q:23andMeは中断したが、米国にも自己主張が強い人がいて「中断はおかしい」という署名運動が起きて、一万人ぐらいが参加してFDAに送り付けようとしている。どうとらえるか。
A:検査した人はすでに50万人いる。わかるのは遺伝子の病気と一般の病気、薬の使い分け、祖先の人種、目の色など。ただ、医学的にはそこまで言えないというのが本音である。米国にはリスク診断の会社が3社あるが、同じ検体を出したら、結果が違ったとネイチャーに論文が載った。23andMe以外の2社は事業を縮小したが、23andMEは負けずに進めた。医療としてはまだ難しいと思う。
C(コメント):23andMeはグーグル創業者の会社であり、たくさん遺伝子をあつめてしまえば勝ちと考えているようだ。実際には、23andMeの99ドルというのは、破格の値段でペイしていない。
Q:倫理面が整えば、ゲノム解析の利活用が進み、社会は変わっていくのか。
A:変わると思う。倫理・法整備が整えば、健康保険証にICチップでDNA情報を埋め込む。病院にいった時には、すぐに体質がわかるので、リスク評価を行い、医療を施せる。たとえば糖尿病も、遺伝情報を組み合わせれば個別のアドバイスができる。
Q:米国のような遺伝子差別禁止法は必要か。
A:日本には、ハンセン病の隔離など偏見の問題がある。遺伝性疾患の人を排除しようとすることがあるかもしれない。「いい体質/悪い体質」「いい遺伝子/悪い遺伝子」で差別が起きる恐れがある。実際には、みんながそれぞれに病気の確率を持っており、完ぺきな人はいない、ということに理解が進むまでは、社会的なルールが必要だろう。
Q:23andMeによって自分の遺伝リスクを知った患者と医師との間で情報格差が逆転するのではないか。
A: 23andMeの結果を持って病院にいっても、医師の方は「ふ~ん」と言うだけだろう。ゲノム研究はここ10年で進んできたものなので、医師になって10年以上の人は医学部でゲノム研究について学んでいない。最近医師になった人も、忙しくて学ぶ時間がない。医者にゲノム情報の意味や使い方を具体的に教えていく必要がある。情報があっても使えなくては意味がない。
Q:研究は進んでも臨床に落ちていない印象があるが。
A:たとえば、薬疹の遺伝子の実証実験でエビデンスが蓄積できれば、大規模研究になり、参加する医療機関も多くなる。そうすれば、いろいろな医者がこの情報を目にするようになるので、全国に広がっていく。今はその前段階だ。
Q:予防で健康保険組合を巻き込むという動きは実際にあるのでしょうか。
A:コストベネフィットを考えないといけない。全員をゲノム診断するのではなく、ハイリスクグループをスクリーニングするといった動きになるだろう。また、健康保険組合が、健康食品を進めるといったことも起きるかもしれない。
Q:九州大学のコホートで、認知症と牛乳の関連があるといっていたが、うまくマッチングが出来れば日本のためになるのではないか。
A:久山町はサンプルが小さいので、ほかの地域でも同様の結果がでればエビデンスが確立されていく。牛乳が直接関係しているのか、牛乳を飲む人の生活習慣が関係しているのか、まだわからない。