概要
グーグルの電子図書館構想に対して米国の著者および出版社が起こしていた集団訴訟は和解に達しました。これに伴って日本国内でも、各出版社から「著作権に関する重要なお知らせをさせていただきます」といった表題で著者に通知が届き始めました。
国内ではこれについて様々な意見が表明されています。しかし「日本の出版物にまで影響が出るのはおかしい」といったベルヌ条約の原則である内国民待遇を理解しない発言や、「グーグルはきちんと説明もせず横暴だ」といった感情論(本当は和解管理者のRust Consulting, Incに.説明責任があります)も多く、和解の意義と問題点についての理解が進んでいるとはいえません。4月15日には日本文芸家協会が抗議声明を発表しましたが、すべての著者、とりわけ売れない学術書の著者の意見を代表しているものではありません。
そこでICPFでは、主にそんな売れない学術書の著者を対象に、事実を理解した上で対応について議論する研究セミナーを開催することにしました。
<講師>城所岩生氏(米国弁護士)
<モデレータ>山田肇(東洋大学教授、ICPF副理事長)
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レポート
モデレータの山田肇氏(東洋大学教授、ICPF副理事長)によるイントロダクションと城所岩生氏(米国弁護士)による講演の後、様々な事項について活発な議論が行われた。これらの議論を以下に事項ごとにまとめる。なお山田氏と城所氏以外の発言は、日本文藝家教会関係者を除き「会場」と表記した。
なぜこのような事態が起きたのか
城所:ブック検索はWeb検索の書籍版といえる。Webページはホームページで、ブック検索は対象が書籍。「地球上のあらゆる情報を整理してアクセス可能とする」というのがGoogleの企業ミッション。Webは始まりに過ぎない。Webはデジタル化された情報だから簡単だが、書籍はデジタル化されていない。デジタル化するには大変な投資がかかる。一方でWebにはごみ情報が多いが書籍は良質な情報が多い。Googleは「我々の月への打ち上げ計画」だと言って書籍を検索するサービスを10年以内に提供するとした。発表したのが2004年。2005年9月から10月にかけて作家協会、著作権団体、出版協会が訴えた。2005年11月1日にはGoogleがこのデジタル化計画を開始した。
Googleの書籍デジタル化には、「図書館プロジェクト」のほかに「パートナープログラム」があり、後者は出版社(パートナー)との契約に基づいてデジタル化するもので、これに関してはクレームもない。図書館プロジェクトに関しては著作権者だけでなく出版社もGoogleを訴えた。承諾なしに全部コピーすることは違反だと訴えたが、スニペットはフェアユースの範囲内とGoogleは主張した。日本は著作権上に個別の権利制限規定があるが、アメリカではフェアユースがあるのでこれで抗弁したもの。訴訟から3年たって和解した。和解内容は詳しくは300ページほどあり、異議がある場合、これを読んで5月5日にまでに反論するというのが当初の予定だった。
Googleはデータベースに掲載した本1冊ずつに一時金を支払う。デジタル化した書籍の内、米国内で流通しない本(米国内絶版本…日本の書籍もこれに含まれてしまう可能性がある厄介な概念)についてデータが有料で閲覧できるようにする(ただし公共機関などには無償で提供する)。これだと100%中身が見られる。ネット利用者はスニペット(数行の抜粋)を無料で閲覧することになる。こうした表示に対してGoogleは広告を表示できる。そこから得られた収入の37%をGoogle、63%を著作権者が得る。この数値は印税の10%に比べれば確かにすごい比率である。
会場:アメリカでも印税は10%か? → 10~15%ではないか。
会場:収入の63%か、収入から経費を引いたものを配分するのか?
会場:和解管理者の説明には「全収入の」とある。これは流通収入なので、単純に印税と比較できないのではないか。
城所:和解案に対しては9月4日までに参加するか拒否するか決めなければならない。何もしないと参加になる。第三の選択肢が異議申し立て。却下されると和解参加と同じになる。
なぜ日本の著作者にも影響するのか。ひとつは、これがアメリカにおける集団訴訟だった点。日本には集団訴訟の概念自体ないが、公害等多数の被害者が出る場合には、一部の原告が代表者となることで訴訟費用が節約できる。問題なのは、委任を受けなくても、私が代表する、といえば代表者になる点。
もともと被害者の代表ということなので、今回のように著作権者をこの概念にあてはめるのはどうかと思う。集団訴訟すると和解するには裁判所の許可が必要となる。国際条約であるベルヌ条約の内国民待遇によって、日本の著作者に照会が来たわけだ。
会場:オンラインのアクセス権を買えば100%読むことができる。アクセス権は一冊単位で買える。値段は著作権者が自分でつけない限り自動で計算がつくことになっている。そのアルゴリズムはまだ全然わからないが。
会場:版権レジストリ自体は非独占と言っているが。
山田:Googleと同じことをやろうとしたら、誰にでもできるではないか?
城所:Googleと同じようにあらゆる本を取り込み直せばできる。Yahoo!やマイクロソフトもやろうとしたが……。結局続かなかった。
著者はどのように行動すべきか
山田:アメリカでの和解に伴って日本国内の出版社から、私が書いた書籍に関する取り扱いは一任してほしい、という手紙が来た。なぜ任せなくてはならないか、「任せる、任せない」の意思表示はどうすればいいのか。こういう根本的な議論がなされていないと感じた。
山田:学者の著書はほとんど売れない。売れない本の著者の立場からすれば、Googleへの対応は出版社とは違うのではないか。基本的に著者が自分で和解するか、和解しても除外するかどうかなど、判断しなくてはならない。
城所:著作者がとるべき行動は異議申し立てというのが私の主張。Googleの和解管理団が日本の著作権者向けに通知したのは、新聞二紙に一度広告を打っただけ。パナソニックが温風機を回収する際には相当量のテレビ広告や新聞広告を打ったわけだが。限られた期間内に和解を拒否しないかぎり和解に参加したとみなされ、裁判を受ける権利まで奪うというのは日米両国の憲法にも違反する。
和解案が成立すると既成事実になる、そうすると判事もその事実に引っ張られる。ということで異議申し立てがいい。公聴会に出席することもできる。
版権レジストリは独禁法違反ではないかという観点もある。JASRACも公取委からやられているが、アメリカでは音楽業界でも2つ管理団体があるのに、米国に置かれた一つの版権レジストリが全世界をコントロールするのはどうか。孤児作品はGoogleが独占的に利用できる権利を取得する、というのもどうか。権利者が分からなくなった作品はたくさんある。そもそもこの孤児作品の問題は連邦議会で審議していたが下院で拒否された。これをちゃんとしていればGoogleに孤児作品を独占さなかったのではないか。公共政策の失敗のツケを世界に回しているのではないか。法律の適正な手続きを経ずして、人の権利を奪うことはできないのではないか。
和解に参加する選択をとると、表示しないか、データベースからの削除を要求できる。後者を求める出版社は結構あるが、一回削除すると復活できないという話もある。将来電子図書館はGoogleですべて検索する時代になったときに、削除されているので表示されないというのは困るだろう(後の質疑で、復活できるとの指摘があり、和解管理者のサイトで確認する必要あり)。
これまで七百万冊をデジタル化。出版社と契約したのが百万冊、パブリックドメインが百万冊、残りが絶版本。絶版本をGoogleが独占できる、のが問題といわれている。これがどれだけすごいか国会図書館のデジタル化の現状に照らし合わせるとよくわかる。
城所:異議申し立ては意味があるはず。裁判所が異議に対して判断する際には異議の量と質を見る。だから異議申し立てを外国から出すことが大事。それを知れば、裁判官は「これは問題だ」となるかもしれない。
山田:学術書の中には数部しか売れないものもあって、本当は、パブリックドメインにさらけ出したい、という人がいれば、今回の和解案に賛同する。一方で文芸家協会の会員など自分の生活がかかっている人は真剣に考えて何か対応する。自分で判断すればよいのだろう。
会場:僕の本は絶版だが、ほんとうにアメリカでデジタル化はできるのか。日本語の本はむずかしいのではないか。
城所:結構大変らしい。
会場:自分の本はデジタル化されているかわかるのか。
山田:ネットで調べればすぐにわかる。
会場:マンガは対象か?
会場:対象になっていないはず。
会場:マンガと文字著作の違いはどこかにあるか? ネット上のデータと考えると、違いもないのではないか。もう一つわからないのが、日本の絶版はどこが決めてやっているのか。
城所:日本の出版社は、絶版扱いにはなるべくしない方向でやっているはず。
会場:出版社は絶版を把握しているわけで、出版社同士がそれを持ち寄りGoogleに提供すれば、絶版データベースは作れるのではないか。
会場:和解管理者はそうしてくださいといっている。データがおかしいなら正しいものにするからデータを出してくれと言っている。
国内の出版社からの通知に問題はないか
城所:山田さんと似たような通知を受けた。「お任せください」とあり「何?」と思った。牧野総合法律事務所のスタッフの力も借り、出版社の通知事例を集めている。山田さんから紹介があったように通知にはバラツキがある。最初に日経の記事で書こうとしたのは「Google和解、著作権者に告ぐ、出版社からの通知に要注意」だったのだが。著作者に対するスタンスは出版社でバラバラだが、出版社のGoogleに対するスタンスは均一だ。異口同音に「Googleの一方的なやり方には怒りを覚える」というもの。「大変な不快感を覚える」というのに拒否を選択するというわけでもない。「ぶつぶつ文句を言うなら異議申し立てすればいいじゃないか」ということで記事を書いた。
会場:日本の出版社が嫌がっている理由は、著作権者ではないので63%がもらえないことではないか?
城所:そうだろう。アメリカの著作権はアメリカの出版社にあるが、日本の場合、著作権者は出版社ではない。
城所:出版社の通知には注意喚起のみのものもある。わたしはこれが正解ではないかと思っている。出版契約で委任する、と書いてあるものもあるが、その契約時点でこのような検索が想定されていたわけではない。出版社と著作者が意見を異にする可能性もある。利害も違う。著作権法上の条文でみれば著作権者の方が強い。たとえば十一条「二次的著作物に対するこの法律による保護は、その原著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない」。出版社が出版契約をベースに、著作者の許諾を得ずデータベースから削除すると、返って訴えられる可能性がある。出版の半分も契約が結ばれてないとも言われているが、これも問題。大きい出版社でも「お任せください」なんて書いてあったりする。
明日香出版のように「我々は著作権を持っていませんから」という、突き放したものが一番正しいのだが。「ご相談ください」というのも、要注意。自分たちの不利な条件を言わないかもしれない。
城所:出版社も任せてくださいなんて書くから余計に問題に目を向けなくなるわけだ。著作権者と出版社は利害が対立する場合もあると思う。
会場:出版社も本当の問題に気づいていないのかもしれない。アメリカで起こっていることは対岸の火事。出版社は著作権を持っていませんから著者にお願いする、という対応をしたとする。今はアメリカで日本語の本を載せても大勢に影響は無いが、後で版権レジストリが日本に来た時には対処のしようがなくなる。
ベルヌ条約上の問題はないのか
会場:ベルヌ条約が批准された時にはこういうビジネスは前提としていなかったのではないか。それなのに、こういうことが認められるのはおかしい。ベルヌ条約に戻って議論することが必要なのではないか?
城所:おっしゃる通りだが、ベルヌ条約は全会一致でないと変更できない。日本は一番真面目に順守しているが、アメリカは真面目に考えているわけではない。
山田:日本の本も米国の図書館に置かれるので、ベルヌ条約では同じ権利を持つ。だから照会が来たのであって、ベルヌ条約を無視しているわけではないのでは?
会場:日本が先にこれをやったらアメリカは文句言わないのか?
城所:絶対に文句言うだろう。アメリカに行ったばかりのころ、セミナーで政府の人が「みなさん、外国政府との間で何か問題があれば掛け合います」と言っていた。向こうは政権が変わると行政トップも変わるので、在任中に成果を上げたいとなる。言ってみれば人気取りかもしれないが。
会場:ユネスコで絶版本のデジタル化をしているが、日本やアメリカは反対しているのか? Googleは私企業なのに同じことをする。立派ではないか?
城所:それはちょっとわからない。
会場:日本以外の著作権者はどう反応しているのか?
城所:ヨーロッパも当然文句言うだろう。
会場:フランスは裁判を起こすと聞いている。
日本で実施して法的問題はないのか
会場:和解管理者の資料を読むと、著作者とパブリッシャーの双方の同意が必要であることや、同意が得られない場合、レジストリが仲裁手続きを行うとある。アメリカの仲裁手続き、となるととても大変な手続きになるのではないか。
会場:アメリカと日本ではパブリッシャー(出版社)と権利者の契約条件が全然違う。ただ日本語訳された文章をうのみにして適用されるかというと、話は違う。
会場:印税もあるのかないのか分からない状態で出し、出版権しかもたず電子化権もない、となれば、出版社と著者の信頼関係の問題という気もする。
ベルヌ条約では方式主義を禁止している。和解管理者と話をしているが、向こうは「これは方式主義じゃない」と言っている。しかし実態はレジストリへの登録という形式を伴うので、ブック検索はベルヌ条約に違反しているという気もする。
城所:強制ライセンスという面では、そう解釈できるかもしれない。
会場:強制ライセンスについてだが「保護してください」と言わなければ保護されない。何も知らない人、何もしない人、気づいていない人が多数いる中で進むことでいいのかなと。そもそも和解管理者の翻訳がひどい、という問題もある。
会場:さらなる問題は版権レジストリの運用。誰でもどんな本でもいじれる。僕が城所先生の本のステータスを変えることもできる。見に行かない限りわからない。インターネットをあまり使ってなさそうな著者の情報を勝手にいじって5年気づかなければ、利益を横取りすることができるかもしれない。気が付いていない人、が問題となる。
城所:Googleはブック検索のホームページで当面はアメリカだが世界に広げると書いてある。日本でやるか否かのカギはフェアユースだろう。今はアメリカに日本が訴えても、フェアユースだとなる。日本にはフェアユースがない。Googleはそうした状況の行方を見るかもしれない。
会場:パートナープログラムと今回の図書館プログラムが混同されている面も見受けられる。この違いを混同してはいけない。
城所:そうだ、100万冊はパートナープログラムで合意を得ている。
日本文芸家協会の声明などに問題はないか
山田:日本文芸家協会の声明を読んだが、おかしいと感じた。Googleの説明責任を問いているが説明責任は和解管理者にある。協会は国際協調とベルヌ条約の観点から著作権保護期間の死後70年への延長を主張しているわけで、ベルヌ条約の内国民待遇の規定によって今回巻き込まれたことを知らないわけでは無いはずだ。
山田:ところで、日本文芸家協会はなぜこんな間違いだらけの主張を出したのか?
日本文芸家協会関係者:我々は二つの役割をもっている。文芸家の地位向上と著作権管理事業の二つ。声明は前者の立場での主張。後者については、我々としては会員には5通りの選択を提示している。管理事業として代表者としてGoogleと交渉し、配分するとしている。ただし、管理事業御の作業は膨大。先生によっては何百冊、とあるわけで、一つ一つについて管理するのは無理なので、まとめて一つの条件で選択していただく。そのあたりの会員向けの作業と声明とには相違があり、世間から勘違いを受けてしまっている。
国会図書館によるデジタル化をどう評価するか
城所:図書館が利用されなくなるかもしれないという国会図書館の館長の危惧はその通りといえる。日本では国会図書館がお金をかけてデジタル化したデジタルデータの利用は、国会図書館内での閲覧のみとなっている。公共図書館への送信も不可だというのだ……。「貧乏人には本を読むな」という話だ。Googleが立派なのは図書館にはデジタルデータを無料で100%出すという点だろう。
北海道新聞の記事によれば、国会図書館のデジタルデータ化は補正予算で昨年の100倍もついた。デジタル化は加速するだろうが、肝心のデータがどこにも出せなければ意味がない。
日本文芸家協会関係者:文芸書籍は非常に出版部数が少ない、1700部程度のものも多い、こういうものに関して、700部が図書館購入だったりする。図書館が買わなくなり、1000部しか出ないとなると、出版社が刷らなくなる。
城所:それこそ電子出版でいいのではないか。
会場:図書館に頼るしかないというのが、そもそもどうなのかという気もするが……。
会場:高校で教員をやっているが、無償提供は凄くありがたい。著作権35条(権利制限)で授業に使っていいとあるが、提供されても使えないということがあるのか。
山田:和解はアメリカの話。無償提供はアメリカの公共機関への話なので日本は別。
山田:「貧乏人は本を読むな」の件だが、これは「障害者は本を読むな」というのと同じだ。データだと読み上げるので閲覧できるが、それがなければ読むすべはない。
会場:アメリカではアクセシビリティに関する法律で、どの図書館も視聴覚障害者が本を読めるようにしている。日本ではほとんどそうしたことに取り組んでいる施設は無い。日本には読書権は無いに等しいのだろう。Googleは私企業としてこうしたことをやっている。日本は127億円の税金を使ってデジタル化するが、図書館から外には出せない。これについて怒らなくていいのかという気がする。
レポート監修:山田 肇
レポート編集:山口 翔
スケジュール
日時:5月19日(火曜日)午後6時30分~8時30分
場所:東洋大学白山校舎 5B11教室(5号館地下1階)
資料代:1000円