日時:5月9日水曜日18時30分から20時30分
場所:ワイム貸会議室四谷三丁目 会議室B
東京メトロ四谷三丁目駅前、スーパー丸正6階
講師:山田 肇(ICPF理事長)
指定討論者:中邑賢龍(東京大学)
冒頭、山田肇氏が概略次の通り講演した。
- 経済・文化・生活のあらゆる側面で情報通信を活用する情報社会では、情報通信の基礎から活用の効果と危険までを、すべての学習者が理解する必要がある。
- 情報社会で活躍するのに求められるスキルとして、創造性や共感性を持った学習者が育つように、各国はカリキュラム改革・新プログラムの導入などを図っている。各国は論理的思考力の育成などを重視するコンピュータサイエンス教育を提供し始めた。
- コンピュータサイエンス教育は協働学習として実施されるのが典型で、教員がリードする既存の教育と異なり、学習者が主体的に学習し教員はそれをサポートする形式をとる。
- 日本語ができない子供、発達障害の子供も参加し、多様な個性を持つ学習者による協働学習の形態で実施するのが適切である。
- コンピュータサイエンス教育では、コンピュータを用いないUnplugged、民間の知恵や経験を活用するなど、既存の枠組みを外れる実践も多い。
- 現職教員のスキルアップが課題であるが、各国の実例には、最初に研修を受けた教員が核となり他の教員に教育法を伝達する、教員同士で協力する、教員が利用するMOOCを提供するなどがある。わが国も参考にすべきである。
- コンピュータサイエンス教育全体の中で、プログラミングは構成要素の一つに過ぎない。コンピュータサイエンス教育の総称を「プログラミング教育」というと誤解を生む。表現は見直すべきである。
以下記録の責任は山田肇にある。
次いで、指定討論者として中邑賢龍氏が概略以下の通り発言した。
- 計画されているプログラミング教育ではイノベーションは起きない。その意味でプログラミング教育には賛同できない。
- 変わった人でないとイノベーションを起こせない。そういう人たちに世の中は「発達障害」というラベルを貼り潰そうとしている。ラベル張りを打ち破るために、不登校の子供を集めて教育する、ROCKETという取り組みを進めている。変態的に集中力のある子供を潰さずに見守っていける環境を作ることができるか課題である。
- 安全安心を重視する保守的な国民性が大きな壁を作っている。国内におけるモバイル決済の利用率は5%。現金の利用があまりにも便利で安全すぎて移行が進まない。このような保守的な状況が子供の未来に影響を与えると質問すると、「全然そう思わない」という回答が多数になる。計算には電卓を活用すればいいのに筆算を重視する。電卓の利便性を無視し、「電卓を使え」と意見に反発する。眼鏡で視力を矯正しているのに「矯正知能」は認めない。国民性の壁をいかに打ち破るのかが重要である。
- ICTに対するアレルギーがまだ強く、教育もせずに不安ばかり先行する。教育用にタブレットを配布しても、利用制限でガチガチに固めて使いづらくする、一方で、スマホが勝手に子どもたちの身近になっている。保護者も含めて関係者は反省するべきである
- 日本の教育は「全ての子供は同じレベル」にできるという前提となっており、「向いていない子」がいるということを忘れている。プログラミングが抜群に出来ても、それだけではトップ校に進学できない。日本人は「平等に教育しなければならない」という意識に支配され、学習指導要領にしばられている。余裕も柔軟性もない。そのような状況下で、教えることがどんどん押し込まれ、プログラミングも入ろうとしている。科目の選択制を導入すべきである。
- インクルーシブ教育も建前はよいが一律の実施は反対である。大勢の中で学ぶことが好きな子も、いやな子もいる。コンピュータプログラミングの才能がある子供は皆の中で学ぶのが嫌いな子が多い。それなのに同じ教室にいることを強要されて学校にいかなくなる。何もかも一緒・一律ではなく、特性に合わせて小グループをつくるなど教育方法を変えるべきだ。
- 私は不登校、引きこもりに注目している。彼らは時間が有り余っている。彼らに密度の濃い教育を施すことによってずば抜けたスキルを持った子が育つ。プログラミング教育を始めると一部の子を追い詰めるし、逆に出来過ぎな子は退屈でしょうがない。受けなくてもいいという選択肢を作るぐらいのことをしないと、足並み揃えてつまらない状況を生み出しても意味はない。
その後、セミナー参加者との質疑・討論が行われたが、その結論はおおむね次の通りである。
- 子どもがプログラミングを学ぶメリットは、試行錯誤をもとに自分で操作する感覚を楽しむ、問題解決に多様なアプローチがあることを知る、スマホやPCの動作や弱点を知る、などである。それを教育するのだから、自分で作ったものが自分でコントロールできることについて、楽しい、好き、面白と感じることができるチャンスを与えるところから始めるべきだ。
- 中途半端にプログラムを教えてもわからない子供とつまらないと思う子供が出てくる。プログラミング教育では論理的思考力の育成が要で、初等中等教育ではこの側面に力を入れるのがよい。イノベーションを起こすようなプログラマーの育成は、適性を持った子供たちに対して別に進めるべきである。
- 科目選択の幅を持たせることが大切である。得意な分野を育てて、とがった人材を生み出していくことが日本のためになる。一斉教育は大量生産工場の工員養成教育だった。ネット上に教育リソースがいくらでもある。それで学ぶ子供が増えている。引きこもりでも抜群にできる子供はネットのコミュニティやyoutuberの話などを聞いて育っている。どこで教育を受けるか、どんな教育を受けるか、選択できるのがよい。
- ニュージーランドでは、高校では100コース、専門学校では200コース程度から子供たちが自由に選択している。「フードとデジタルテクノロジー」、「音楽とデジタルテクノロジー」といった科目もある。学内に保育園が整備され、30~50歳からでも学べるし支援もある。入学時期もバラバラである。米国では生涯教育の中にプログラミングを選択肢として提供している。時間軸上での多様性が担保されているので、産業にどんどん新しい力が入ってくる。このような先行事例を参考にすべきだ。
- 学習指導要領にダンスや英語が追加されたとき、現職教員は短い研修を受けて、それで教えている。同じことがプログラミング教育でも起こる可能性がある。付け焼刃で教育しても役には立たない。核になる教員を育てて、少しずつでも入っていくということをしなければならない。
- 教員養成系大学の提供科目を考えなおすべきだ。情報技術に詳しい教員がテクノロジーを教えるという情報教育をしているというところもまだ多いが、利活用を中心に教育していかないといけない。現職教員についても、教員同士で授業について語り合ったり、講義資料を交換したりできるSNSを作ってスキルを向上させていくのがよい。日本の学校では教員のSNSの使用を禁止している学校が多いので、そこから改める必要がある。