知的財産 電子書籍時代を迎えて、出版界の現状と取り組み 岩本 敏小学館社長室顧問

特定非営利活動法人情報通信政策フォーラム(ICPF)主催
IEEE TMC Japan Chapter協賛

 ICPFでは、平成22年度秋季に引き続き、平成23年度春季も「電子書籍をめぐる動向」と題するセミナーシリーズを開催してきました。
その第3回は、岩本 敏氏にお願いしました。岩本氏は小学館で電子書籍に取り組んでおられます。同社の電子書籍には、PC、三社の携帯電話、アンドロイド端末、iPhone/iPad、それにいくつかの電子書籍端末で閲覧可能という、大きな特徴があります。また、岩本氏は、知識コンテンツ配信サービスの運営などを業務とする、ネットアドバンス社の取締役も務めておられます。
本セミナーでは、電子書籍時代を迎えての出版界の現状と取り組みについて、俯瞰的に発表・議論をしていただきます。

概要:

日時:7月19日火曜日午後6時半から8時半
場所:東洋大学白山キャンパス5号館5201教室
講師:岩本 敏氏(小学館社長室顧問・ネットアドバンス社取締役)
題目:「電子書籍時代を迎えて、出版界の現状と取り組み」
司会:山田 肇(東洋大学経済学部教授、ICPF理事長)
参加費:2000円(ただしICPF会員は無料です)

講演資料:

こちら

講演要旨:

第3回セミナーでは、岩本敏氏(小学館社長室顧問・ネットアドバンス社取締役)に「電子書籍時代を迎えて、出版界の現状と取り組み」と題して講演いただいた。講演の要旨は次の通りである。

 昨年は電子書籍元年と言われたが、実際は電子書籍に関する「紙の本」が売れた年だった。広辞苑をCDーROM化した頃の方が電子書籍元年と呼ぶに相応しかっただろう。ただ、SONY、シャープ等の動きもあり、昨年は電子書籍リーダー元年ではあったかもしれない。
 出版業界の売り上げは1996年がピークで、2010年までに書籍は4分の1、雑誌は3分の1の市場が失われた。ピークの前年にWindows’95が発売され、PCが一般的なものになっていった。1996年にはYahoo! JAPANも登場し、インターネット元年といわれた。
 インターネットの普及とともに、出版界は新しいインターネット分野の出版をはじめ、潤っていったと言えるだろう。しかしケータイとはそういう接点がなかった。ケータイはマニュアルやノウハウ本がなくとも使えるので、出版業界の売り上げに貢献してこなかった。このケータイの普及と出版業界の売り上げは、反比例している。
 音楽CDにも同じ傾向がある。2005年から音楽配信が増加しているが、パッケージ分の減少を補うものではない。一方で、リアルなコンサートの料金が急騰しており、それでもお客さんは入っている。ライブの値段は明らかに高くなり、アナログの価値が見直されている。
 出版物の販売金額統計にはデジタルは含まれていない。新刊の点数はここ数年ずっと増加傾向だった。総売り上げ下落をカバーするべく、これでもだめかあれでもだめかと出し過ぎてきた。やっと反省点にたち、昨年は前年比-4.9%になった。平均価格は、書籍は1100円で8年連続下落、雑誌は503円と初めて500円を超えた。
 デジタル・コンテンツ販売データには、インプレスR&Dなどが独自に調査している数字などしかない。2000年は売り上げがないに等しかった。2010年には、電子出版コンテンツ全体で650億円にもなり、iPadやスマートフォンなどの新端末向けコンテンツの売上は24億円で、前年から4倍になった。電子書籍は、2015年には2000億規模になり、その多くは携帯とスマートフォン向けが占めると予測されている。
 日本の電子書籍は辞書からスタートした。小学館も1997年に『大辞泉』のCD-ROM版を発売した。百科事典は25巻にも及ぶ。それがCDやDVDとなれば、そちらの方が売れるのは当然。電子辞書も使いやすく、物理的に小さく軽い。電子辞書がここまで普及したのはおそらく日本くらいしかない。
 小学館にとってのターニングポイントは、デジタル関連の部署ができた6年ほど前。デジタル・コンテンツの売上げが急増し、コミックのデジタル化が一気に進んだ。
 ITジャーナリストと呼ばれている方々から、日本の出版社は手をこまねいているという指摘が多い。しかし、2010年のデータをみると、米国の電子書籍市場の売り上げは370億円(ただし教科書と雑誌はのぞく)。ただ、米国では雑誌がほとんど電子化されておりZinioという雑誌専門のサイトもある。雑誌の定期購読を出版社に代行して電子化して提供する会社で、700から800ほどのデジタル版を展開している。これに対して日本は690億円市場(教科書、雑誌を含む)。さらにインプレスR&Dのデータに出てこない電子辞書400億円があり、足しあわせれば1000億円を超える市場がすでに存在している。
 電子書籍というと、京極氏や村上龍氏が注目されるように小説のイメージが強いが、学術雑誌はほぼ100%デジタル版が流通している。このように、何かを調べるというジャンルで、日本でも相当デジタル化が進んでいる。また、何かに役立てるジャンル、実用書、ビジネス書、旅行ガイドなどもデジタル化の動きがある。しかし、小説やエッセイは、今のところほかのジャンルに比べ、電子書籍には向きではないと考えている。
 Zinioはよくできていて、ハイパーリンクを自動生成するので広告からスポンサーのホームページに飛んだりすることが可能、映像なども埋め込んでいる。Zinioはダウンロード型だが、日本で同様のサービスを行っている富士山マガジンはストリーミング型。「ストリーミングでDRMをかける」、というのが日本の出版界の傾向だが、私はユーザーの利便からするとダウンロード型でいいのでは、と思う。デジタル・コンテンツなら高精細なコピーを作ろうと思えば可能だが、やっているうちにその意味があるのかと感じるようになる。ネットにつながりさえすれば、どこからでも利用できる。わざわざ違法コピーする意味があるのか、と途中でわかってくるからだ。ただ、海外のいわゆる海賊版の存在は頭の痛い問題だ。
 マルチメディアは出版社の仕事だろうか? 米国ではメディア・グループの中の一員として出版社が存在している。コングロマリットの中なのでリッチコンテンツを作るのも簡単。しかし日本では角川、扶桑社、ダイヤモンド社さんくらいしか対応できないかもしれない
 知りたいことを調べるにはGoogleの方が便利。一方雑誌にはもともと「興味のなかったモノ」に出会う可能性を提供してきた歴史がある。それが雑誌の役割であり、単純な電子化やコンテンツの切り売りでは、その役割は果たせなくなる。AmazonやAppleのリコメンデーション機能が強化されれば近づくかもしれないが。
 アメリカでKindleが売れたのにはアメリカ特有の背景がある。近くに書店が無い、スタンドでは雑誌しかおいていない。読書のスタイルも一か月の休みにセカンドハウスでハードカバーを10冊、20冊と読み、旅行中も、5冊も6冊読むというもの。ケータイ文化もない。アメリカ人が、ケータイを通話以外に使えると知ったのはiPhone以降である。日本はそれよりも十数年も前からケータイを活用し、ケータイ小説などのヒットもある。日本でアメリカと同じように、電子書籍専用の端末に人が動くだろうか。
 電子書籍のニーズは、学術ジャーナルの分野、図書館におけるアーカイブなどにある。絶版になった書籍のデジタル化は重要。国会図書館所蔵の本でも館内閲覧も難しいほどぼろぼろのものがある。密かに読みたいのが「エッチ系コミック」、「写真集」。iPadでは横からのぞかれるので、そんなコミックは読まれないだろう。人から見えないサイズの画面で読むことが前提のコミックがこれまでの日本の電子書籍市場の大半を占めている。一方、電子書籍端末には、小さな文字が読みにくいシニア層向けなら意味がある。自費出版にも適しているだろう。また、このままなら、紙の本では読まないという層は、ひょっとするとデジタルなら読むかもしれない。
 かつて日本でも電子書籍デバイスが発売されたことがあった。パナソニック、ソニーそれぞれ数千台も売れなかっただろう。理由は、コンテンツがなかったから。ところが、2008年にアジア太平洋各国デジタル雑誌国際会議が東京で開かれた、日本の出版社がデジタル化をやらなくてはならない、というように意識が変わった転機である。その後いろいろな協議会や団体が設立されたが、今後は統廃合に向かうだろう。
 三省懇のもたらしたもの。一番リアリティがあるには「書誌情報の統一化」である。同じコンテンツに統一のコードを付与しようというもの。非競争領域においての、権利処理プラットフォーム。中間・交換フォーマット。出版界は、共同して、ここに預けておけばありとあらゆる端末・フォーマットに向けて販売が可能で、デジタル・コンテンツの保管機能をもった倉庫のような仕組みを作ることが必要だろう。
 講談社は2012年までに、許可の取れたモノはすべて新刊と電子版を同時発売するという。小学館はあえて表明していないが、売ってくださるところには全部提供する。デジタル化も、すでにやっている。
 なぜ電子書籍の価格が下がらないのか。もともと、日本の出版物は安価であった。デジタルになったら、少額な印税支払いのための煩雑な手数料や、サーバー費など、紙の時代になかったコストがかかる。新刊本は印刷本ができた段階でデジタルデータもできているが、過去の書籍のデジタル化では、権利処理のための人件費がバカにならない。そして本音では、将来に備えて、価格を下げたくない。新聞はかつて、インターネットのサービスプロバイダーにニュースを提供し、ユーザーはそれを無料で読んできた。今は新聞社が直接有料版を販売している。その前例をみると、軽々に価格を下げると挽回できないと思う。
 紙の本の形自体に価値があるのか、それとも情報自体に価値があるのか、私たちは紙を売ってきたのか、情報だけで売れるのかという点もある。
 若い編集者ほど、紙の本が好きという矛盾がある。今時の出版社の採用試験を受けにくる若い世代は、紙の本を作りたくてやってくる。最初からデジタルをやりたい人はIT企業を受けに行く。
 iPadの登場は日本の電子書籍市場にインパクトを与えた。しかし、実際に使ってみて、私は、本は読まないと思う。本よりおもしろいコンテンツがたくさんあるからだ。その上、日本で販売されている電子書籍コンテンツに一通り目を通そうとすると、20近くのアプリをインストールしなくてはならない。こんな状況は紙の本には無かった。どの本屋に誰がいっても同じ本が買える、アプリケーションなどなくても本は読めるということが当たり前。フォーマットと端末の林立があるかぎり、先に進めないだろう。
 アメリカ人が読む書籍は挿し絵くらいしかない。日本人が読む書籍はものすごい量のグラフ、イラスト、説明図。文字も縦と横組が混在している。日本の書籍のレイアウトは世界一複雑で美しい。EPUBが話題だが、多くの外国製フォーマットは、リフローさせるとそのレイアウトが狂う。文章と図表の関係をレイアウト上で維持することはEPUB3でも難しい。コミックや小説のビューアーにはすばらしいものがあるが、そのほかのジャンルにはまだ満足できるモノがない。
 米国は、AppleやAmazonなど、コンテンツから端末まで同じ会社が販売する垂直統合型モデルである。日本は水平分業型となって行かざるをえない。日本には日本の市場や商習慣に相応しいビジネス・モデルがあっていいと思う。
 AmazonもGoogleも着々と準備を進めているらしい。二社は年内にも日本で電子書籍ビジネスを始めるだろう。また、国際電子出版EXPOの出展企業が、昨年の81社から今年は150社に増えた。関心の高まりがうかがえる。さまざまな企業の新しい取り組みが見られる。パナソニックも再び電子書籍端末に参入した。ソニー、楽天、紀伊國屋、パナソニックが手を組んでいる。東芝と富士通も。
 自炊対策はどうなっているか? 多くの出版社が、自炊を引き受ける業者を目の敵にして訴えるかどうか話し合いをしているが、そんなことをするより、出版社が自らPDF版でいいから読者に販売すれば、と、個人的には思う。ニーズに応えきれていない。出版社がデジタルデータを正規に提供すれば、デジタル化の代行業などは消える。もっとも、今後もドキュメントスキャナは個人用に売れていくだろう。
 誰もデジタル化してくれないモノこそ自炊する価値がある。たとえば、中学生時代の日記。公共図書館の地域出版物のデジタル化も、ここに意味がある。地域に密着した所蔵。廃校になった学校の卒業アルバムなど。
 本を読むときには、読者それぞれに映像と音楽を思い浮かべればいい。それを電子書籍で固定すると、夢を壊す。だから、紙の本は残るだろうし、残さないといけないと思う。
 小学館系ネットアドバンスの「ジャパンナレッジ」は日本最大の知識データベースである。個人にも利用していただきたい。クラウド時代になじんだサービスで、いろいろな出版社が共同参加している点も先進的である。

講演後、次のような質疑応答があった、

 大半の書籍は横書きではないか。縦書き対応でフォーマット論争するのは無意味ではないか → 売れているモノは圧倒的に縦書き。新書もそう。だからフォーマットが縦書きをサポートするのは重要である。それに、情報は横書きになった瞬間にタダになってしまう、傾向がある。
 自分で情景を想像するのが小説であることに同意するが、デジタルに向かないのであれば、そのあたりをデジタル化する必要は無いということか → そうとは思わない。まず電子化の対象とするのは小説以外からというのが私の主張である。
 今日お話しいただいた内容について、大学でも全く同じ議論をした。コミック以外にも、子供向けの、幼稚園向けにも、もっと用途があるのではないか → 子供向けはすでにある。コミックはいままで左開きに組み替えていたが、アメリカやフランスの読者は日本と同じモノをだしてくれと、右開きとなった。擬音もそのまま掲載する。絵本について、怖い話を聞いたことがある。携帯の小さい画面でコミックを読むことが多いので、眼球の左右の移動幅が狭くなっているのではないかという。今の子供たちは、映画館の大きな画面では字幕を読めないということもあるらしい。子供が全体を見渡せないというのが怖い。この点にも配慮しつつ、子供向けの電子書籍を出していきたい。
 電子書籍はこの先どういう端末で読まれていくか。専用端末か → 専用端末はシニア層に売れると思うが、基本的にはスマートフォンだと思う。日本はケータイで十分という若者が多い。大学でレポートを出させても、A4サイズで5,6枚のものでもケータイで打ってくる。そういう連中が専用端末に向かうとは考えにくい。
 電子雑誌はスマホでは読みにくい。タブレットPCをどうみているか → 雑誌は無理ではないかと思う。すでにテストして失敗している。デジタル雑誌を創刊した結果、ネットの中にパッケージの概念を持ち込むのは難しい、という結論に至っている今後のテクノロジーの進化のありようによっては、可能性があるかもしれない。デジタルはランダムアクセスで取り出しが速くなるということが盛んに言われていた時代に、ある順番でしかみることができない写真集があった。紙の写真集だとこちらの都合で見たい写真だけ見ることができるのに。このように読んで欲しいという意図もコントロールできるのであれば、デジタルならではのパッケージングで、電子雑誌にも可能性があるのではないか、と考えている。
 国会図書館はマンガなどのデジタル化を280dpiでやっている。ニュアンスが失われてしまうのではないか → 何もやらないよりはいいと思う。1270億円使って進めたデジタル化も画像データでしかない。マイクロフィルムと変わらず、現状では、閲覧できるだけで、検索まではできない。それでも、今のうちにデータ化しておくことは意味がある。
 本や雑誌なら、明治時代のモノでも開けば読める。電子化すると、フォーマットに束縛されて、機器が更新されると読めなくなる。おじいさんが昔ワープロで作ったデータを読もうとしても、今は機器がない。国会図書館はデジタル化するときに、そのあたりを考えているのか → 最低限、残すのはPDFでよい、と考えていると思う。PDFで十分という読者も多い。検索できなくてもPDFで十分という人は自炊でも大勢いる。後々OCRをかけてもよい。メディアについてはもっと問題である。最近はMOも読めなくなってきている。
 外国人で、縦書きで読みたいとは、どういった層なのか → オタクである。
 そこにフォーカスすることに活路があるのだろうか? アメリカンコミックは子供向けが多い。もっと層を広げる試みをしてはどうか → 何度も挑戦したが、どんなにやっても、大人は読まなかった。世界中のオタクを相手にしている方がコミックは儲かる。いるかいないか分からない層を追い求めるより、健全なオタクの方がいい読者。
 課金の方法について聞きたい。紙媒体の時にない広告型に移行していくのではないか。地図もCDーROMで買っていたが、今ではGoogleを利用し、そこには広告がある。お金の取り方は変わっていくのか → ネット広告に関するノウハウを出版社はもっていない。代理店任せでやってきた。ネットになった瞬間に、自分たちのビジネスと考えなくてはならないといっても、その人材は育っていない。
 本との出会いがすごく大事である。意図していなかったもの、興味のなかったものに出会う。電子書籍・雑誌になったら、Amazon型(推奨型)ではなかなか満足できないのではないか → Amazonも工夫して、見せ方を考えているようだ。書店のような、意図していなかったものまで読者に訴求できる仕組みが生まれるか、関心を持っている。